奇跡の一本松から、気仙沼大島へ。 [ツーリング]
東日本大震災。
仙台生まれと言うか、東北・関東の太平洋沿いご出身の方々には、生涯忘れることのできない出来事でありましょう。
発生時はもう北関東の海無し県の、しかも山沿い地方のカミさんの実家にマスオさん状態だったので、揺れによる棚からの落下物と風呂場のタイルのひび割れぐらいしか被害は無かったが、私の実母の実家はきれいに全て流されてしまった。福島との県境にある、山元町というところにあった。子供の頃は母に良く連れていかれたものだが、夜になると海から波の音がかすかに聞こえるような砂地の多い庭の家だった。よく、いとこと庭の穴から出てくるカニをつっついて遊んだりすることができたところにあった。
だから、津波にはひとたまりもなかった。防風林のような林に囲まれた、いとこ達とキャッチボールやサッカーで遊んだ近くの広場も、ぜ~んぶひっくるめてきれいにただの平原になってました。
震災から一年たって、やっと被災地に足を踏み入れる気持ちになれてから初めて赴いた母の故郷。ナビ上に表示される、家があった筈の地点の道路を、車で行ったり来たりを散々繰り返しても場所が特定できず、あきらめかけた頃、これが最後と、震災以来1年以上たって初めて通り抜け可能になった道路に車を停めて、その道路からちょっと離れた位置まで歩いてみて、やっと、母の実家の庭にあった丸い井戸の先だけが、砂利の合間からはみ出した様にとり残されているのを発見、母の実家だったところの位置がわかったのでした。
家があった場所にはコンクリートの土台しか残っていなかったが、玄関先に敷かれていた、見覚えのある模様のタイルは残っていて、そこから昔の状態を思いだそうとしてみたが、防風林で見えなかった海なのに、ぽつぽつ集落もあったのに、地球はやっぱり丸いんだぞと、神様から改めて認識させられるように、ところどころにあるガレキの山と、工事車両以外なんの障害物にも邪魔されず水平線まで遥かに見透かせるようになってしまった風景に、ただただ、立ちすくむしかできませんでしたねー…。
津波、という自然の力の強さが、すごい、とか、恐いとか、そんなありふれた表現であらわせないほど、とにかく想像の域を越えていました。ほんとに。
くる途中の道路沿いでも、小学校か、中学校の体育館の屋根の上に、ひっかかるようにして漁船が乗っかっていたのです。なにかのアトラクションやテーマパークのオブジェでなく、怪獣映画の特撮でもない、全くリアルなただの風景の中に、ありえない光景があった。
津波で外壁を突き破られ、鉄骨の柱しか残っていない体育館の屋根の上に、昨日まで誰かが乗っていたはずの漁船が、乗っかっている。車を停め、家族全員、しばらく言葉を失って眺めていました。
これは、なんなのか。なにが、起こったのか。「理屈」では理解しようと努めてみても、目から入る情報の異常さが、正常だった時の世界の記憶とのギャップを埋めきれないでいたような戸惑った感覚が残っている。
母の実家に当時一人で住んでいた、母からすると兄嫁に当たるおばさんは、ちょうどディサービスで街中の方に行っていて、助かった。
助かったとはいえ、デイサービスを含め地元の混乱は想像を絶し、白石市で教師をしていた長男である私のいとこが、自分の母親であるおばさんと避難所で再会できたのは、確か二日か三日近くかかったと言われたはずだ。
この日でなかったら、いや、デイサービスの時間が午前中だったら、間違いなく命は無かったと、存命中(このおばさんは今年の春に老衰で大往生された)時、私のいとこにあたるその長男から聞いた。
津波の被害が及んだ地域で、生き残った方々の人生には、そのひとつひとつ全てにドラマがあるのだ。けっして、大げさな比喩では無く。
本州の最北端と最南端に到達して思う事 [ツーリング]
本州、南北の最果てを35年かけて制覇!
長かったなぁ~
紀伊半島の先っぽ行ったの、昭和63年5月3日だって…(*_*;
昭和最後の年だ~。まだ昭和天皇ご存命時だぞ~。
まだ、24歳でした。
独身だったなんて、なんか、想像できない…
息子たち3人、まだこの世に存在していなかったんだなぁ
陸奥湾一周、そして恐山! [ツーリング]
その「違和感」は、ホテルにチェックインしたあたりから気になり始めていた。
最初は、SRの振動のせいで、ただ「手が痺れている」状態の延長の感覚かと考えていた。
そしたら、あり、SRのキーが回せない…?
あ、握力が、出ない!?!
灼熱の東北道一気走り [ツーリング]
あ、暑い…
バイク乗ってて、こんな“熱風”を浴び続けた覚えなんてないぞ。
どんなに暑くても、ふつう、高速走ってりゃ「おー風が心地よか~」とか感じるものだと思っていた…
快活クラブはライダー御用達??なの? [ツーリング]
引き続き、弘前城公園桜祭り鑑賞ツーリング記。
2泊目に選んだのは、「快活クラブ」
私が“愛読(?)”している動画の「ハスさんチャンネル」という、オートバイによる日本一周記録を配信し続けているyoutuberの方が、基本的にはキャンプをしながらツーリングするのであるが、悪天候の時や、良いキャンプ場が無い時に「快活クラブ」という施設を使われているのを知って、「ほー、ライダーにとって、こんな都合の良い場所があったのか!これは是非私も経験してみたい!」と思ったからである。
一言でいえば、いわゆる「ネットカフェ」、なんだよ、な?
私は使ったことが無いのでよくわからないのだが、ネットカフェに、個室と、カラオケ施設と、シャワー室がついたようなのが「快活クラブ」だ、と説明して、大丈夫かな?
コミックもたくさん置いてあり、読み放題なので、私にはどちらかというと「漫画喫茶」の感覚に近いのだが、まぁ、マッサージルーム、なんてのもついてるから、総合アミューズメントプラザ、なんて表現を今時するのか?ゲームセンターはついてないようだが…まぁ、やる気になれば、部屋のパソコンでできるのだろうか?ゲームコントローラーも貸し出ししてたしな。世の中、まだまだ知らん事ばっかりだ。…、というか、新しいムーブメントが次々と発生し続けているので、追いつかんわ。我々の年代感覚から一言で説明すると、カラオケ付きの新しいカプセルホテル、てな感じかな?コインランドリーもついとる。
と、言うことで、鍵付き個室のフラットルームというものを出発前に一応、予約しておいたのだ。
当初よりもだいぶ到着が遅くなってしまったのだが、使用料金は時間割なので、清算の時レシートを見たら、予約の時間では無く、入店の時間から計算してくれていたのでこれはありがたかった(当然事前連絡は入れておいた)。
夜8時過ぎに入店し、次の朝7時半にチェックアウト。使用時間11時間21分で3,300円。こ、これは安い…と、値段だけ見たらそう思う。
しかし、部屋は極狭!
面積的には、一回り大きい畳、ぐらいかな? 畳1畳半ぐらいはあるとは思う。縦の畳よりは少し広いぐらいの幅に、ドアの側の足元に靴がぎりぎり縦でおけるような玄関みたいな段差のスペースがあり、床はレスリングをする時使うような黒のマットが敷いてある。ドアと反対側の壁にはテーブルみたいのがついていて、その上にパソコンのでかい液晶画面がひとつ置いてある。
まだ、ハリウッドのプリズン映画に出てくる牢獄の方が広い感じがする。普通サイズのベットの広さぐらいの床面積の部屋、と言えばわかりやすいか?
当然、トイレは共通、シャワールームは二つ。これはカラオケとか他の施設と共用なので、ちょっと参ったのが、おそらくカラオケで酔った客が便器を汚してしまうことで、実際、泊まった店も大の方が片方汚されていて、ひとつしか使えなかったのでちょっと渋滞してしまったタイミングがあった。すぐに誰かが連絡したらしく、店員さんが暗い顔をして私と入れ違いに入ってきたから、まぁ、対応は早いのかも知れないが、ちょっと施設の使用人数の割にはトイレが狭くね?とは感じたかなぁ。当然、出入りするたび、消毒液で手をベタベタにしておりましたよ。
食事は、カフェラウンジみたいなところがあるのでそこで食べるのだが、席ひとつずつ仕切りで区切られているので、その点は少し安全なのだが、部屋に持ち込み禁止なのはちょっと面倒だった。外で買ったものはおとがめなしらしいが、店内の食べ物は、そこの飲食スペースでしか飲食できず、ドリンクバーとかのコップは部屋には持ち込んではいけないそうだ。安全上の決まりらしい。私は、カレーとビールを注文したのだが、疲れがたまりきっていたのか、ビール小瓶半分ぐらい飲んだところで目がグルグル回り始めたので、やばいと感じてカレーを一気に食べきってすぐ部屋に戻って、シャワーも浴びずにそのままの格好で寝てしまった…
ところで、快活クラブに来る前、弘前城公園では、公園の周りにある民間駐車場にSRを停めていたのだが、夜桜観賞を終えて受け取りに行ったとき、横に兵庫ナンバーのオフロードタイプが並べて停めてあったので、「おぉ~、根性あるなぁ」なんてつぶやいていた。キック一発駐車場を出て、初めての弘前市、道に迷い迷い「快活クラブ」に向かっている途中、後ろからバイクに追いつかれてしばらく追走されていた。そしたら「快活クラブ」の駐車場に一緒に入ってきたので「おっ?」と横に並びかけた時に振り向いて「こんばんわ~、泊まり?」とお尋ねしたら「はい~、(あなたも)ですよね~」と朗らかに答えていただいた。と思ったら、「さっき駐車場で隣に停まってましたよね」と、言われてしまった。なんと、弘前城公園の脇の同じ駐車場に止めていたライダー君と、偶然に宿もご一緒になってしまった。ツーリングしてると、こんな偶然があるからおもしろい。「俺、(快活クラブ)初めてなんだけど、やっぱ、みんな(ライダー)使うのかな、ここ」と聞いたら「ん~、どうでしょうね、私は良く使いますけど」とのこと。
なんでも、兵庫県から延々自走で桜を見にいらっしゃったらしい。30代ぐらいかな?細身で背が高めの、しっかりとオフローダー・ファッションに身を包んだお兄さん、次の日、すぐまた兵庫に自走で帰るそうだ…
若いなぁ~。うらやましいなぁ~。名前聞くの忘れてたなぁ~。次の朝、私より先に出発されたようで、すでに駐車場にはバイクはなかったが、無事帰宅されたであろうか。またどこかでお会いしたいものである。
体調が万全であれば、夕飯でもご一緒したかったところだが、コロナもあるし、さらっとした挨拶程度で終わってしまったのは少々残念であった。
今回のツーリングの当初の予定は、時間制である快活クラブは夜明け頃に出発し、更に北上、竜飛岬から海沿いをぐるりと回り、下北半島の先っぽ、本州最北端の大間崎まで到達し、本州最北端の碑を撮影してやろうと考えていたのだ。そして自宅まで高速道路一気乗りして、北海道ツーリングの時に初日はやるであろう、(逆道だけど)高速道路弾丸走破を経験しておこうと考えていた。
しかし、体力不足を痛感、予定を変更し、昨夜は夜桜しかみれなかったので、午前中はまた弘前城公園に行って、昼間の桜をのんびりたっぷり鑑賞し、昼前に出発して、仙台のオヤジのアパートに泊めてもらい、予定最終日はさらにのんびりと帰宅するスケジュールに変えた。
この判断は、まったく正しかったと思う。更に北を目指すなんて無謀な挑戦をしていたら、大間崎当たりで、津軽海峡の向こうの北海道を眺めながら動けなくなっていたかもしれない。一応、保険証は持ち歩いてはいるけどさ…まさか旅行先でお世話になりたくはないものなぁ~。
徐々に徐々に、体力と言うか、“バイク乗り感覚”を取り戻していきたいものである。
快活クラブでは、真夜中に目が覚めてしまったら、なにか、部屋の狭さに少し息苦しくなってしまい、気持ち悪くなってしまった。考えてみたら、子供の頃は閉所恐怖症だったのを忘れていた。まぁ、社会人になってからもそのせいか、少しパニック障害気味になってしまって、東京サラリーマン時代、仙台の田舎育ちの私は、通勤ラッシュの地下鉄に乗ると気持ち悪くなったりしていたのだが、大自然に囲まれたカミさんの実家である今の住まいに、仕事を辞めてお世話になってからは、ほぼ症状は治まっておりました。が、夜中に1人、遠い街で狭い部屋に押し込められていたら、急に恐怖感がよみがえってしまった。ドアもオートロックだし、もし、ロックされたまま開かなくなって外に出られなくなったらどうしよう…地震が来たらどうなるんだ?なんて考え始めたらまさしくパニックである(苦笑)
ベッドじゃないから体があちこちかえって痛くなるし、一応、分厚いバスタオルみたいのは使い放題だから3枚ぐらい重ねて使ってみたがやはり寝た気がしない。この歳になると、どうしても“雑魚寝”の感覚があってまったく休まらない。
一度店の外に出て(当然弘前の街は真っ暗、店の灯りに照らされた駐車場にも空きが目立ち始めている)深呼吸、バイクにカバーをかけ、少しそこいらをブラブラしてからシャワーを浴びて、部屋に戻ったら症状は治まったのだが、もしも自律神経失調症とか、パニック障害とかある方は、かなり部屋が狭いのでちょっと気を付けた方が良いかもね。私は、パソコンで、前述の「ハスさんチャンネル」の動画を流し続けていたら(バイクで延々走り続けている映像が多いので)、少し落ち着いて、また安らかに眠りにつけました。どうも、フワフワ感というか、軽いめまいなど、何がどう影響しているのかわからないけど、体調は最近芳しくないのであった。
おそらく、コロナの影響で外出は最低限にしているので、それでなくてもテレワーク的な仕事環境で一日パソコン前に座っているから、気づかないうちにまた精神的に不安定になっていたのかもしれない。どうも、几帳面で神経質なものだから、うつ病とまではいかないまでも、なんとなくうつうつとはしてしまいがちだ。コロナの前は、雨でなければ一日一回は本屋なり、ホームセンターや家電店で買い物なり、銀行でも郵便局でもとにかく外出することを心掛けていたのだが、それが大っぴらにできなくなったのは、精神に与える影響は、何気に大きいのかもしれない。なかなかはっきりと自分でこれだ、と原因を特定できない種類のものであるから、全くもって困ったものである~…
実は、バイクをまた乗り始めたのも、気分転換と言うか、ストレス解消、症状緩和につながらないかなぁ、という期待もあったのだ。健康診断は全く問題ないし、一度お医者さんにひととおり診てもらったのだが、血液検査もパス、とりあえず「目に見える」悪いところはないようなので(めまい薬みたいのを大量に渡されて、それをみてかえって調子が悪くなった)、つまり、まったく、精神的なものではあるようなのだが、それだけにかえって始末が悪い。
まぁ、パニック障害的な体調不良に関しては、また一度じっくりと記事にして、同じような症状をお持ちの方にもコメントを頂いてみたい。薬に頼らない解決法とか…。ちなみに、太極拳と、自己流マインドフルネスはやってるんですけどねぇ…。
いずれにしても、また「快活クラブ」を使いますか、と問われれば、同じような状況であれば、プラス数千円かかってもルートインホテルを利用します、と答えるだろう。
結局、カツカレーにビール、ちょっとしたおつまみを頼んだら最終会計は5,260円になってしまった。朝は食パンとポテトがサービスで食べられるが、とてもルートインのメニューには及ばない(足元にも)
だったら、私の今回のような使い方をするならば、ゆったりとベッドで休めて、大浴場もついているルートインの方が費用対効果は倍ぐらいに感じる。
しかし、急な悪天候とか、どこも宿がいっぱいで取れず、緊急避難的な『シェルター』としての使い方をライダーがするのであれば、ここは、これほどありがたい施設は、今の所は他に無い、と言える。パソコンもついてるから、色々な情報も得やすいし、それなりのスキルをお持ちの方なら、ツーリングしながら仕事もこなす、なんてかっこいい生活も送れるのかもしれませんな?
私は、無理だけど… どうも、自宅のパソコンと、使い慣れたマウスにテンキーじゃないと、うまくはかどらなくてねぇ~(´・ω・`)
さて最後に、弘前城公園の桜を何十枚か撮った写真の中で、下手な私なりに一番見栄えの良さそうな写真を掲載して、今回のツーリング日記を終了したいと思います。
再見!
青森県深浦町は、見所多し! [ツーリング]
弘前城桜祭り見物ツーリング日記の続きになります。
男鹿半島から続く海岸線を、青森県に向かって走るわけだが、秋田県との境にあるのが青森県深浦町。いや、見所多くて、地元の方には失礼を承知で言うが、意外でした。
「深浦町」という地名を知ったのは、NHKで日本中の「巨樹」の特集番組に北金ヶ沢の大イチョウが出ていたから。青森県の海岸線沿いにある北金ヶ沢の大イチョウを見て、「お、東北一周するなら通り道じゃん」と思って前々からチェックしていたのだ。
その後、今回の桜見物ツーリングに出る直前、本屋で、隠れた絶景特集、みたいなのを掲載していたバイク雑誌を立ち読みしていたら、「日本キャニオン」という場所が、これまた「青森県深浦町」という住所にあることを全く偶然に発見してしまったのである。本屋から出て、SRに跨りながら忘れないうちにとスマホのマップでチェックしていたら、これまた海沿いの国道101号線から入ってすぐの所にあったので、「これも寄らなきゃ!」と加えてマーキング。
よしよし、男鹿半島の後も、弘前入るまで立ち寄りポイントが増えたでぇ~とホクホクと出発していたのでありました。
さて、日本キャニオン。
『日本のグランドキャニオン』なるうたい文句であるが、さすがに、それは言いすぎだろう…とは思ったものの、しかし、他に似たような景観が日本にあるかと問われれば、「知らない、聞いたことも見たこともない」と言うしかない、奇観のひとつであると思う。
浸食によって山肌が崩壊して、凝灰石がむき出しになって白く見えるとか書いてあったが、地学的なことは全くわからないので、興味がある方は調べられたし。
サイズが実感しやすいように、わざと展望台の手すり杭を入れて撮影してみたが、この白い壁が見えるのはここだけではあるけれど、でかい。
山奥の渓谷で、突然現れた黒部みたいな巨大なダムを見下ろす感覚である。
こういう石灰石みたいな白い岩が、例えば点在しているような風景ならばどっかにあったような気がするが、こんなに真っ白けな岩だらけのどでかい「一面」だけのワンパーツとして眺められるってのは、おそらくここだけじゃないのかなぁ。
この白い壁の下の方には登山道があり、見上げることができるらしいので、そこに行けば、「グランドキャニオン感」が味わえるのかもしれない。
ただ、この展望台に行くまでけっこう山道で距離があり、ちょっとした“登山”になってしまったので、ライディングシューズではちときつかった…
が、まぁ、「一度は観ておいて損は無い」レベルの眺めだと私は思った。
ちなみに、秋田側から侵入すると、「日本キャニオン」とか標識は出ておらず、小さく『十二湖』としか無いのでご注意。どちらかというと、点在する湖を散策するハイキングがメインなのかな?
そして、弘前城公園の桜観賞以外では今回の旅の一番のお目当てである、イチョウの木としては「日本最大」と言われる「北金ヶ沢の大イチョウ」を目指し、日本のキャニオンを後にする。
途中、「千畳敷」と書いてある標識が目立ったので、海沿いのパーキングに停車して眺めてみたら、これがまた良かった。
いやまぁ、こちらは「千畳」という表現は決して大げさではないだだっ広さ。これまた思わぬ絶景でございました。ここも色々な奇岩が多かったようなのだが、前の記事にも書いた通り、前日の500㎞一気走りが身体に影響を与え始めていて、走っている時は運転に集中しているからあまり気にならないのだが、バイクから降りるとちょっとばかりフラフラしているような浮遊感があり、そのフワフワ感が気持ち悪くて、更にムカムカしてくるみたいな悪循環の感じがあったもので、できるだけ座って深呼吸したりしておりました。ので、時間も押しており、日本キャニオン登山でもかなり体力を削られたので歩く気にもなれず、一通り眺めたら水分補給とトイレ休憩して、移動した。おそらく、頻尿を気にするあまりに水分をチビチビとしか補給していなかったので、脱水気味だったのかもしれない。ジレンマやなぁ~
ゴジラ岩もそうだったけれど、ここも、次回は是非もう少しゆったりと時間を取って訪れたいと思いましたです。
そして、“日本最大”の、大イチョウ。
迫力でした~。
樹齢は千年以上、と紹介看板には書いてありましたが、正確には300年以上、としか認定できないみたいですね。しかし、このでかさを自分で目の当たりにした感触では、4,5百年程度のお年寄りにはとても見えませんな。私としては、樹齢千年説を絶対指示させていただく。
根元には祠もあり、人が住めそうなほどの空間も広がっていて、なんか、ジブリの映画に出てくるような神秘的な雰囲気。白い大きなオオカミとかが顔を出し、「黙れ小僧!」とか、叱られそうな…
地元では古くから神木として崇拝信仰されていて、母乳の出が良くなる、という言い伝えがあるらしいよ。はー、なるほど、この垂れ下がった形が……似てるからか? ふむ。
見ごろは、葉が黄葉する11月上旬頃らしいけど、そんな時期の青森には、とてもバイクじゃ行けないなぁ~。寒いよなぁ… 寒いとなぁ、頻尿がなぁ~…
ここは、テープの内側は進入禁止だったらしく、私は反対側から近寄っていたので気づかず、テープのところまできて初めて気づき、ばつの悪いことに地元の役場の職員さんらしい、公務員が良く着用している、上下綺麗な作業着姿の集団がイチョウの手入れに来ていたのだが、チラチラ私を見ている理由はこれか!と気づき、慌てて「あれ、ここ、進入禁止でしたか!?」と尋ねたら、課長さんらしき雰囲気の方が「あぁ、いいですよ、“今日だけ”違います!大丈夫です」とにこやかにおっしゃって頂いたので、恐縮してすぐテープの外に出たが、まんず、お優しい方々ばかりであった。恥の上塗りついでに写真撮影までお願いし、最後に弘前までの道順もお聞きしたのだが、全て快く笑顔で応じていただき、道順は、私のスマホのマップを操作しながら、数人であーでもない、こーでもないと真剣に検討して教えていただきまして、お忙しいところ、まっこと、感謝でございまする。
深浦町の人情味の温かさが感じられるひと時でございました。
謝謝!
あの時の皆さま方、もしもいつかこの記事をご覧になったとしたら、どうも、あの時のオヤジです、おかげさまで無事帰宅できました。その節は大変お世話になりました。またいつか、北金ヶ沢の大イチョウに会いに行けるよう、健康であり続けたいと考えております。再見!
それにしても、イチョウ、大きすぎて、スマホ撮影だとうまく枠内に入りきらなかったなぁ~…ちと、残念。
深浦町を後にし、さて、弘前城に攻め入る前、最後の絶景は、これは何と言っても
岩木山!!
いやー、【津軽富士】の愛称も納得の雄大さ!
地元の人は確かに誇らしい気持ちになれるであろう、まっことまっこと綺麗な山ですなぁ~ 写真にすると迫力が伝わらないが、直に観るとホンマ、ビッグ・エレガント、でした。
次回は、桜祭りを見た後岩木山登山なんかできたら最高だろうなぁ、なんて思いましたぞよ。岩木山の頂上から見たら、弘前市や日本海がぐわわぁ~っとパノラマで見えるのではないかな。でも見た目にまだ残雪が多そうだから、さすがに桜の時期の登山はまだ厳しいのかな…? 誰かご存知の方、情報下され~。
写真ではわかりにくいかもしれないけれど、この時、けっこう日が傾いていて、実はかなり焦っていたのであります。あれだけ深浦町の方に道順を教えていただいたくせにおそらく曲がるべきところを直進してしまい、いちいちバイクを止めてスマホを確認すればよいものを面倒くさがったせいで、道に迷い大きく迂回してしまったらしい。岩木山を右手に観乍ら走るはずが、いつのまにか左側に見え始めてきたので、慌てて「弘前方面」と出ていた小さな標識を頼りに左折したらこれがまたすさまじい林道のような道! 岩木山の裾野を走る道路で、一応、舗装はされていたが、落ち葉のような草カスがコーナーに溜まっていたりしてビビりました。どうしよう、もどろうか、パーキングみたいなスペースがあったらUターンするか…、なんて考えていたら、急に、動物園でしか見れないような、NHKスペシャルの秘境特集番組に出てくるような、イタチのような、ひょろながい胴体の丸顔の狐(?)のような、黄金色の毛色のふさふさしたでかい尻尾の生き物に遭遇、突然林から飛び出してきて、SRの脇を走っていたのだ!
あれは、いったいなんだったんだろう?もしかして、「テン」とかいうものか?ネットで調べたら、見た目一番近い感じがするけれど、それにしてもけっこう、大きかったような… SRの半分よりも長さがあったように見えたのだが…??大人だとそのぐらいになるのかな?
ほんとうに、神々しい感じがする不思議な生物だった。しばらくSRと伴走するように道路わきの草の上をしなやかなジャンプでピョンピョンと、イルカが海の水面から飛び出しながら泳いでいるような感じで、一緒に走ってくれたのだが、遊びのつもりだったのだろうか。そろ~り、とバイク停めて写真撮ろうとしたら、くるりと方向転換し、ぴよよ~ん、ぴよよ~んと優雅に森の中に去っていってしまった。もうちょっと、そこで待っていてほしかったがなぁ~。ホンマ、不思議な瞬間だった。しばらく惚けていたが、そのせいでUターンするかどうするか迷っていたのも忘れて、余韻を引き摺り乍らまた走り出したのだが、けっきょく、この道がもとのルートに戻る最短路でした。ちょうど、岩木山の麓をショートカットするような感じになっていたようです。きっと、あの生き物は、北金ヶ沢の大イチョウの木の精が、「いいんだよ、このまま行けば。このまま進め~」と、森の生物の姿を借りて、教えてくれたのではあるまいか。10メートルぐらい、伴走してくれたのだよ? うん、きっと、そうなのだ。きっと、北関東の山奥からわざわざ会いに来てくれたオヤジを憐れんでくれたのだろう。そう思うようにしました(笑) よっぽど車とか通らない道なので、ヘンな音を出しながら移動する“物体”が、珍しかっただけなのかもしれないけれど…
それでもけっこうなタイムロス。なるべく明るいうちに宿に着いて、荷物を置いて、それから弘前城に向かおうと計画していたのに、途中渋滞になり、道にも更にまた迷って弘前市の住宅街をウロウロしてしまった。城下町は、敵の進軍をそらすために迷いやすいような道になっているらしいが、私は城下町というと、たいていその策にはまってしまって、道に迷ってしまう…。
駐車場探すのも弘前城の周りの渋滞道路を二周近くしてやっとこさ停めやすいところを決めたりしていたので、キーをオフにした時には、完全に日没していたのでありました。
そんなこんなで無事、弘前城公園の桜にたどり着き、ピンク・ワールドを堪能させていただいたのですが、宿泊所に選んだ「快活クラブ」なる施設が、これまた…
「快活クラブ」についての感想は、次回。
それにしても、体調さえ問題なければ、秋田市のルートイン秋田土崎から男鹿半島、日本海岸線ルートを走り青森県深浦町から岩木山を回っての弘前市入りラインは、我ながらナイスなルート設定でありましたぞ。似たようなスケジュールをお考えの方は是非お試しあれ。
再見!!
あぁ、日本海 [ツーリング]
ちょっと、なめてましたかな。
東北の、日本海海岸線ルート。
ま、当然晴天だったから、というのは大前提ですが、それにしても非常に眺めの良い国道が多かったですよ。
自宅を出、福島県の南会津町から国道400号を使用、ちなみにこの国道は、非常な山道部分が多いので、雪には本当にご注意されたい。不安があるときは、絶対通らない方が良い。私が通ったときも道路のわきに「雪の壁」が残っている山影がけっこうあり、雪解け水が道路を浸していて、「うぉっ!?」と焦ったシーンに何度か出くわした、ので、気温が低い日の早朝とか走ろうと考えている方はご注意を。
そして、49号線に合流して、一路日本海を目指す。
高速道路を使うにはどうしてもまだリターン直後なので、バイクに乗り慣れていないという恐怖感があり、下道にこだわったのだが、これは失敗したと思う。この山道ルートで初っ端からかなり神経を使ってしまい、けっこうな体力を削られたような気がする。
素直に会津若松市あたりから高速乗って一気に海沿いまで出て降りてしまえば、時間的にも体力的にもかなり今回のツーリング全体で余裕が持てていたような気がする。
教訓その1.高速使える時は躊躇なく使え!
仙台からの帰り道、自家用車ではもう乗り慣れているからと、東北自動車道走ってみたけど、下道走るよりかえって安全だわ。
今はドラレコついてる車が多いと皆考えているのか、あまり煽られたり幅寄せされたりというトラブルは、まぁ皆無では無かったけれども、片手で数えられる程度(明らかに意図的プレッシャーだべ!と感じたのは2回)で250㌔ぐらい走れたから、何をそんなに怖がっていたんだろうと今頃自分に腹立たしい。
高速料金は痛いけど、考えてみたら、下道ばっかり使っていたら宿泊が増えてしまう。キャンプで連泊するという強者ライダーならまだしも、ふつーにビジネスホテルとか使う気でいると、いくら安くても4,5千円はかかるだろうし、朝食付きなんて頼めばやっぱり6,7千円いくだろう。なら、そのお金で高速走って一気に目的地まで着いてしまった方が、日数の節約になるし精神的にもかえって楽なことに今頃気が付いた。
ただまぁ、下道は下道で、意外な絶景に出会えたりするから、んー、それはそれでよかった気もする。高速道路は、「ただ走るだけ」になっちゃうし…。
理想は、一度目は下道でのんびり走ってみて、次からはすっとばせるところは高速使っちゃう、という感じかなぁ。「次」があればなんだけど…ね。
んで、日本海。
まずは、風力発電の風車(?)が延々と並んでいるのには少々驚いた。
ほんとーに多いよ。新潟や山形はけっこう風力による発電量は多いのかな?
走ったのは、国道113号線から345号線。その後は主に7号線で、時々海沿いの県道に迷い込んでなるべく海の近くを走ってみた。
ずっと良かったけど、国道345号線は特に奇岩が多くて、とっても見ごたえのある絶景ルートだと思った。てっきり山形県に入っているのかと思って走っていたけれど、マップで今確認してみたら、まだ新潟県だったんだなぁ。
長男が富山県の大学だったので、何回か新潟から海沿いの高速を富山市まで行ったことがあるけれど、あっち側もとても新潟エリアは長い。北の方もこんなに長いとは、けっこう、同じ新潟県民とはいえ、北と西ではなかなか会うのは、となりの県まで移動するぐらいに大変なんじゃなかろうか、なんて余計な心配をしてしまった。
東北の日本海、というより、北陸・東北の日本海沿いルート、と表現しなければ正確ではないかな? あり、新潟県は、北陸じゃなくて、中部地方と呼んだ方が良かったっけ?東北ではないんだよなぁ…?なんて議論が沸きあがるのも、新潟県のこの長い日本海岸線を走ってみて、さもありなん、と思えた。山形県の人からすれば、「東北でいいんじゃね?」と言いたくなるし、富山県からすれば当然「北陸だよ!」と主張したくなるでしょう。
日本海の海岸線は、新潟県の部分が長いので、山形県エリアは意外とあっさり走りきってしまって、秋田に入る。山形から秋田に入るあたりでの絶景は、何と言っても鳥海山かなぁ。何気に走っていたら(おそらく酒田市の市街地を抜けるあたりのバイパス)大きなスーパーみたいな建物の陰からいきなりどーんと出てきたのでびっくりした。
周りに他の高そうな山が見えないので、なんか、平野のど真ん中にずどんとそそり立っている感じ。すそ野が広いというのか、横幅があるので本当に大きく見えて、感動しました。しばらく走り続けていても、ずっと右手に見えておりましたので、やはり大きい山だったんでしょうなぁ。男鹿半島からもしっかり見えたしなぁ。
コロナの影響もあるので、他県ナンバーでうろちょろ寄るのも気が引けるので、エンジンを止めるのはガソリン給油と、道の駅でトイレ休憩のみ。1回だけ道の駅の売店で昼飯代わりのソフトクリームを注文しただけ。かなり腹が減りました…
泊まりはルートイン秋田土崎。位置的に、秋田市でも北の方なので、男鹿半島方面に行くならベストポジションだったと思います。
ホテルに到着した時日没直前時間だったので、チェックインして慌ててスマホをもって飛び出し、日本海に沈む夕日を撮影してやろうと海方面へ走ったのだが、残念なことに、港の施設やフェリーなどが浮かんでいてちょうど海の水平線が見えないあたりに出てしまったので、ウロウロしているうちに沈んでしまったあぁ~っ 残念!晴天だったのになぁ~。しかもせっかくのバイクの機動力を使わずに自分の足でどうこうしようと考えたのが失敗。
チェックインとか、後回しにできることは後回しにして、タイムリーな絶景撮影を重視しましょう。教訓その2。
ルートインの良いところは、ちょっと郊外の主要道路沿いにあり、たいてい、駐車場がだだっ広いので駐車に困らずツーリングで使用するのに都合が良いことと、朝食がサービスという点だ。繁華街に遊びに行くにはちと辛いが、1人で飲みに行く趣味は全くないし、だいたい下戸に近い酒の弱さ(ビール350㏄缶をたまに持て余すほど)なので、私には全く関係ない。
サラリーマン時代、営業車で動き回る仕事だったもので、しかも他県に出張とかよくあったから、利用できるエリアにあればまずほとんどルートインに泊まった。サービスの朝食はバイキングだが、ビジネスホテルとしてはけっこうボリュームがあり、メニュー的には必要充分である。ので、朝食で量を摂り、昼は得意先の課長さんとプチグルメして領収書、んで、夜はホテルの部屋でテレビを見乍らビールにつまみ、程度にして食費を浮かしまくり(当然、ホテル代も出張費処理)、かなり蓄えを増やせた美味しい思い出がありまする。
ので、リターンライダー初ツーリングの最初の宿泊に、ルートインを久しぶりに使ってみて、やっぱり良かったと思っております。 ただ、朝食サービスは良いのだが、開始時間が遅すぎる。6時45分(どこもそうなのか?)は、ちょっとツーリングライダーには、明るい時間がもったいない。理想は夜明け時間には食べられる、なんてのが最高だが、できれば6時スタートぐらいにならないもんかな。6時47分にレストランに降りていったら、入り口に長蛇の列が出来上がっていましたから、他の利用者の皆様も同じ気分であるはずだ。まぁ、コロナウイルス対策で、消毒とビニール手袋をしなければならなかったから、渋滞はそのせいもあるんだけど、だからこそもう少し早めに開始してほしい。
そして、男鹿半島。
ここで“めっけもん絶景”は、何と言っても「ゴジラ岩」。
マニアで有名な話は、なんとなくネット上で目にした記憶がどこかにあったのだが、どこにあるのかなんてすっかり忘れておりました。前夜、ルートインの部屋のベッドに寝転び乍ら、次の日のルートをスマホのマップで“予習”していたら「ゴジラ岩」の表記を走行予定ルート上に発見したので、「おっ!」と思って寄ってみた。何事も、下調べは大事ですな。
おそらく、事前に意識していなかったらすかーっと通り過ぎていたと確信できるほど、小さな看板しか建っておりません。行ってみたいと思う方はお気を付けて。駐車場も狭いです。
私には、どちらかというとゴジラというよりガメラに見えてしまいましたが… 特に、斜め前から見ると絶対ガメラ。しかし、近くにガメラ岩なるものもあるらしいのだが、ちと歩くには遠そうだったので、行くにはあきらめた。どんなんだったのかなぁ?
ところで、このゴジラ岩の口の部分に、夕日が重なる瞬間があるらしく、それがまた“絶景”よ、とマップの名所紹介にあったので、次回は是非に夕方に訪れてみたい、当然晴れた日の、ね。
男鹿半島をぐるり一周しましたが、いやぁ、眺め最高。日本海岸線ルートを走っている間、ずー~っと風が強いのが唯一のネックでしたが、まぁだからこそ日本海側には風力発電が多いのか?
半島の南側は、すごく高いところを走る海沿いの道路がけっこう多くて、ちょっとこの風にはビビりました。途中、水族館とかありましたが、ここで転倒してガードレールを越えてしまったらまず、いや、“絶対”助からないなぁ、という感じの絶壁道ばかりでした。対向車が見えない時は、なるべくガードレールから離れて、センターラインぎりぎりを走っておりましたな。
北側は海岸線ギリギリに走る道路は少なかったですが、とても見通しのよいワインディングロードがありまして、気持ちよくスラロームできました。
あぁ、男鹿半島、また是非「走りに」行きたいツーリング名所であります。
さて、長くなりましたので、弘前までの道中記後半は、次回。男鹿半島から弘前までの道路沿いにも、けっこうな見どころがあるのですわ、これが。
再見!
弘前城の桜は、すごかった。 [ツーリング]
生まれて初めて弘前城公園に行ったが、いやぁ、感動しました、桜!
いろいろな知人から、一度は見に行って損は無いよ、てなことを言われていて、まだ仙台に住んでいた学生時代から行きたくてしょうがなかったのだが、還暦間近のこの歳になって初めて行けました。
確かに、死ぬ前に観れて大変良かった。
出発前は、スマホで毎日記事を更新しようと意気込んでいたのだが、あまりに無茶な道程を計画してしまったため、ヘロヘロになり、宿に着くなりダウン、とてもじゃないがスマホをいじくる気力もわかず、今頃の報告になっております…
特に、初日に下道だけで496.4㎞も爆走したのが無謀だった(山形、秋田の海沿いは最高の眺めでしたが)
3泊4日の旅、総走行距離1,463.4㎞!仙台からはたまらず高速使って帰りました…。
秋田についたその日はまだ気が高ぶっていたのかさほど感じなかったのだが、次の日、秋田市を出て男鹿半島を走っていたらなんかフラフラしてきて気分が悪くなり、休み休みなんとか弘前市にたどり付いたのであります。
明るいうちについて、そのまま夕日の岩木山を眺めながら夜桜見物にしゃれこもう、なんて思っていたのに、着いたらもう弘前城は桜のライトアップタイム。
ので、ゆっくり夜桜を楽しんでから、宿に入り、次の日からの予定変更、計画ではまた更に北上するつもりだったのだが、とても体力が続かないと判断、午前中ゆっくり弘前城公園を散策して、昼前に出て仙台のオヤジの住まいに向かい泊めてもらうことにして、そのまま帰路とした。
もう、若くは無いのだ、ということを痛感させられてしもうた…
ちょっと未だに少しフラフラ感が抜けないので、仕事も溜まってるしもうちょっと体力回復させてから、ゆっくりと記事を更新していきたいと考えております、ので、今回はこの辺で
再見!
SR試乗インプレッション~そして初回無料点検へ [ツーリング]
このまま自分には珍しく晴天の旅で一日を終われるのか、という淡い願いもむなしく、やっぱり、茨城からわが県へ入ろうかとする山道で、またも一雨喰らってしまった。
ん~、とにかく天気の神様は、一日一度、私を“濡らして”やらないと気が済まないらしい。
いやらしぃ…
まぁ、ほんの数分の雨模様ではあったが、瞬間バタバタっと強い雨脚になり、けっこう、メットのシールドが雨滴で視界が遮られるほどになった。が、はいはい、この程度なら恨み言は言いませんよ、神様。
わが県に入ってから、しばらく走ると美しい夕焼け。男体山を更に勇壮に際立たせる赤い空に、ちょこっと感動しつつ、家路を急ぐ。
どうも最近視力が怪しいので、暗くなってくると全く道路標識が読めなくなってしまう。
眼鏡をかけると、まだまだ曇りがちになる気温だし。なるべく明るいうちに到着して、キーをオフにしたいのである。
走行距離が300㎞を越えてくると(帰り道はおよそ340㎞走りました)、さすがに、お尻もひりひりしている。股関節の内転筋、ワイドスクワットをすると筋肉痛になるあたり、が、かなり痛みを感じるようになっていた。
これは、振動のせいというより、ふつう、300㎞も走り続ければどんなバイクに乗ってたって現れる当然な症状だと思われる。
SRのシートは、他のバイクはよう知らんが、おそらくとっても優秀なのではないか。「跨っている」というより、「座っている」、という感覚になる。
私は、このシートは、わざわざカスタムしたくなるような気分には全くなれませんですな。
座面が幅広く平坦なので、座りやすいが脚付き性の方にはちょっとばかり悪影響を与えているのかもね。でもまぁ、走りだせば脚付き性なんか全く関係なくなるので、そんなに気にする必要は無い、というのが私の感想。
ただちょっと、厚めなので腰高感は他のバイクに比べればあると思います。
少なくともエストレヤよりはものすごく視点が高く感じる(実際は十数ミリ程度の違いかもしれないけれど)。
それよりも、やっぱり、ステップから足裏に響く振動にはなかなか慣れない。
ライディング用ブーツを履いていてもこの痺れ感だと、よほど、オフロードバイク用のどでかく分厚そうなシューズでもないと防げないのか?
なんか、防振用ステップみたいなの売ってないのかなぁ。そしたらこれは速攻でカスタマイズしたい!
とはいえ、不思議なもので、最初は正直絶望的な気分にさせられた振動も、慣れてくるとなんとなくまた痺れたくなってくるというか、なんて言えば良いのか、そう、「懐かしい」ような気分にさせられてしまう。
これがSRオーナーが良く使う曖昧表現、“味”というヤツなんかな?
『癖になりそう』なんて歌が昔無かったかな?タイトルじゃなくてサビのフレーズかなんかであったっけ?
たとえば、挑戦、激辛カレー!完食したらサービス券御進呈!、なんてうたい文句にほだされて、ついつい食べ始めてすぐその辛さにその決断を後悔してしまうのが常だが、しかし、数日経つとなぜかまた無性にその辛さを感じたくなってしまう…なんてこと、あるよね??
そんな感じ、と言えば近いかなぁ。
ギア5速でメーター読み3,000回転ぐらいならおよそ時速65~67㌔ぐらいだと思うのだが、ここを過ぎたあたりで、振動が、心地よいとまでは言えないけれど、道路から受ける振動とミックスされて、いわゆるトコトコ感が出てきて、気分よく走れるようになった。
私が、一番気持ちよく感じたのは、およそ3,500回転前後、時速にして75~77㌔ぐらいあたりかなぁ。一般道ではちょっとばかりスピードオーバーな速度帯なのでお勧めはしないが、でも、3車線のバイパスなんかじゃ、こんなスピードで走ってるとがんがん煽られたりするから、まぁ、そんなに驚くような速度でもない。ちょっと飛ばしている車の後ろについてりゃ平気で80㌔オーバーになってたりするでしょう?
高速も少し走ってみたけれど、慣らし運転上限の4,000回転で90㌔ちょっと手前?ぐらいかな?ちょと運転に集中してしまうのでしげしげとメーターを確認できないので確かではないが、気持ちが良いのはそのぐらいまででしょう。
慣らし中とはいえ、ちょっとなら回転数あげても良いだろうと、4,000回転以上に加速してみたら、かなり振動が“硬質”な感じになってきて、ちょっと肌触りが悪い、という感じの痺れ感が足裏だけでなく、ハンドルを握る手やシートにも出てくる。
よく、他のSRオーナーが、「高速を80㌔ぐらいでトコトコ走ってるのがいいんだよ」というコメントを残していると思うが、まさしくさもありなん、それ以上出すと、とてもじゃないが、振動を「鼓動」なんておしゃれな言い回しで表現できるような余裕は無くなってくるのではないの?
レッドゾーンまで回したら、いったいどうなっちゃうのか、今から少し、ホラー映画の広告を見せられたあとみたいな気分である。おそらく、「空中分解」しそうなスリルを味わえるんじゃなかろうか。
う~ん、しかしでもまぁ、この「振動」がなければ、SRがSRでは無くなってしまう、という気分には確かになっちゃうんだろうなぁ~。
シングルの、【鼓動】
だから、まんず、この「振動」が嫌なら乗るなよ、としか言えない。
ニンジャ250のあの前傾のキツイライポジは絶対だめだ、と感じたら乗らない、のと同じことだろう。
ところが、今回仙台往復で感じたのだが、SRもそこそこに前傾はさせれられているのかもしれない。上腕三頭筋が、次の日かなりの筋肉痛に見舞われた。腕立て伏せを、間違った方法でやると、大胸筋という胸の筋肉より、ポパイの腕の力こぶの反対側、曲げている肘を伸ばそうとする筋肉が痛くなったりするが、それが「上腕三頭筋」。そこがちょっと笑えないほど痛くなった。
つまり、やや前傾で、ハンドルを押すように体を支えていたからこうなったのではないかと思う。これは、エストレヤに乗っていた時は全くおきなかった現象だ。
ハンドルはそんなに低くは見えないけれど、もしかするとシートからの距離がけっこうあるのかもしれない。
というか、シートが大きいから、座る位置取りにはけっこう余裕があり、ちょっと疲れてくるとお尻を思いっきり後ろに滑らせて、リアシート上にくくりつけている荷物を押すような感じで伸びをしたりして、そのままの姿勢で走ったりしているとけっこうな前傾のままになる。
そのせいかな? きっとそうかも。反対にタンクギリギリまで近づけて座ってみると、まぁこれはこれでやっぱり腕はへんに突っ張ってくる。
私にとっての今現在、想像する理想のハンドル位置は、自分の方向に斜め45度方向、ハンドル一本分ぐらい上がってくれると良いかな。そうしたらツーリングはものすごく楽になるかも。そんなカスタム、できるかなぁ?でもあんまり上げ過ぎると、今度は山道のコーナーが楽しくなくなってしまうかな? ヤマハの開発者の方々も、そんな試行錯誤は43年間、嫌と言うほど繰り返してのこのライポジなんだろうから、結局、今のが一番良かった、なんてことに落ち着くのかもしれないが。
どちらにせよ、腕の筋肉は、鍛えておくにこしたことはない。
ハンドルの高さはかえってエストレヤの方が低く見えた感じだったと思うが、腕の筋肉で痛くなるようなところは、アクセルとクラッチを動かす前腕筋ぐらいしか無かった。
エストレヤで仙台帰ったときは、リターンしてすぐだったので、おそらく筋力が衰えており、アクセルをひねる右手の前腕の筋肉がパンパンになってしまったのと、クラッチを切る左手首の、関節周りの筋肉なのか神経なのか、はっきりと場所を特定できないようなかなりの痛みが発生していた。
ギアを替えるたび、クラッチを切るためぐっと左手を握りしめるわけだが、帰宅直前の頃には、いちいちうめき声を「うぅ」と上げ乍ら握らないといけないほど、激痛に襲われた。突発性腱鞘炎みたいな感じ。自宅までの最後の1キロがすんげー長く感じられたよ~…
リターンライダーの皆さま、最初の遠乗りの前に、パワーハンドグリップとかで握力つけておいた方が良いかもよ? ので、私は、今現在、仕事で使うパソコンのそばにパワーハンドグリップを置いておき、目が疲れたりした時、休憩替わりに思いだしたようにニギニギしている。これがまた意外と良い気分転換になる。重さは10㌔㌘、って書いてあるな。
あんまりキツイのでやると血圧が上がりそうだし、まぁ、筋肉を太くするためではなく、筋持久力を付けるためにやるのだから、軽めのを30回とか、50回とかやった方がいいような気がしております。その方が、血管から窒素が出て柔らかくなるとか、NHKのためしてガッテンでやっていたような。
振動についての“感想”は「プラマイゼロ、むしろプラ~」、といった感じだが、エンジンパワーはこれは全く最初っから不満なし。
400㏄の排気量は、狭い日本では必要充分である。
それに、いろは坂に一回登ってみたが、アクセルをストッパーにつっかかるまで回して使える面白さがある。
ニンジャ250はおっかなくてアクセルを全開になんか、ほんとの瞬間しかできなかったが、SRは、次のコーナーまで、かなりの時間、アクセルをストッパーに押し付けるように回し続けることが、できた。
まさしく「全開っ!!」という気分になれた。いや、これはなんか楽しい。250㏄のニンジャの方が馬力があるだろうが、シフトの回数は、トルクがあるSRの方が、4速と3速だけしか使わずに、おそらく半分ぐらいで済んだような感じがした。
つまり、ずぼら運転ができるのだ。
別にレーサーじゃないんだから、素人の峠攻めであるならば、私にはニンジャ250より、SR400の方が何倍も楽しめた気分になれたぞよ。
そしてまた、4速あたりで、低速から加速しようとアクセルを開けて加速始める時の、音がまたなんとも良いんだよねぇ~
トタトタトタトタトタトタ!
400㏄のシリンダーの中を、ピストンがうんこらせ、よっこらせ、と一生懸命動いてる感がして、ホンマ、かわいい。これはマルチエンジンでは味わえない独特なモノでありましょう。
まぁ、何台か、フルカウルのマシンに余裕でぶち抜かれたけどね。
しかし、そんな場面でも全く気にならないのが、SR乗りの特権だと思う。
「はいはい、どうぞどうぞお先にどうぞ、私は自分が楽しければそれでよいのよ~」という気分でいられるのだ。
人と競い合うのではなく、自分とSRが楽しんでいれば、それで良い。
おそらく、SR400というバイクの最大の魅力は、そこにあるのだろう。
そのうち、ファイナルエディションだろうがリミテッドだろうが、こてこての中古カスタマイズセパハンタイプだろうが、どうでも良くなってくるのだ。
大事なのは、『俺のマシン』であること。
今はちょっとばかり注目を浴び過ぎてしまって、お店の駐車場に止めておくとやけに視線を浴びている感じがして、キックスタートも緊張してしまうのだが、まぁ、そのうちどうでも良くなってくるだろう。しかし、同じSR乗りの方はまぁ、よく声をかけてくださるね。
嬉しいような、…ちょっと、うざいような…
でもきっと、ファイナルエディションっていったって、フューエルインジェクションタイプになってからのSRはそんなに変わらないと思うよ。色が違うだけでしょ。
それで、直前の年式とこんなにお値段が上がっているのがちょっとばっかり不満だけれど、そのぶん、しっかりとした組み立て、工場検査を経て出荷されているのだ、と思うことにしておりますよ。ヤマハさんのプライドをかけてね。
しかし、今回の道中、一番クレームをつけたいのが、ニュートラルランプがついているにも関わらず、ギアがどっかに入っていたらしく、クラッチを離した途端エンストしてしまったことが4回もあったことである。
まぁ、ギアがこなれるまでの現象だとは思いたいが、4回のうち、1回はなんか頼りないつま先の感覚だったので、「ん?」とは想いつつエンストしてしまったのだが、他の3回は全く、コリッとした感触があり、ニュートラルに入ったろうと確信をもってクラッチを手放してしまってのエンストだったので、ちょっと頭にきましたぞ。4回のうち1回は交差点で右折しようとして、右折レーンで信号の矢印を待とうとした時のタイミングだったから、かなり恥ずかしい大注目を浴びながらの車の列をぬっての歩道避難をさせられてしまいました。くぅ~っ!赤面!フルフェイスのヘルメットで良かった~…。
この現象は、キック始動しかないSRにとっては『大問題!』だ。もちろん、初回無料点検に持ち込んだ時は、イの一番でメカの方に訴えさせて貰いました。
少し調整しました、なんて言っていたけれど、さて、如何なものになっておるか。
さっそく、それを試すべくまたロングツーリングに旅立つ予定なのであります。
さ~て、また、そのうちレポートしますです。
再見!
SR試乗インプレッション~往復600キロ慣らしツーリング報告 [ツーリング]
前回は、エストレヤとのハラハライライラ道中記だったが、今回は、新相棒にして、死ぬまでの“伴侶”にしようと思っている、我が蒼きヤマハSR400・ファイナルエディション!
まだタイヤに緑色のライン(これけっこう恥ずかしい気がする…)が残った状態での旅立ちとなる、実家である仙台への帰省ツーリング。
最近、めっきり衰えの目立つオヤジに会いに、ついでに慣らしも完了させちゃおうという魂胆なわけである。
ただし、今宮城県はコロナ禍が吹き荒れているので、極力コンビニとか寄らないで、昼飯も家に置いてあったカロリーメイト一箱をジャケットの腰ポケに突っ込み、道の駅もトイレ休憩のみにして、店舗には寄らないようにして、後はガソリンスタンドもセルフだけにするつもり。夕飯もわざわざ買い出しに出なくても済むように、地元の道の駅で一番美味しいと評判の蕎麦を買い込んだ袋に、庭で採れたばかりの長ネギも突っ込んで、さぁ、準備万端、にて、出発~!
走り出す前に確認した積算走行距離メーターも、131.3㎞と、まだやっと三桁に到達したばかり。
はてさて、振動による、身体的負担がいかほどか。
不安はまさしくそれである。
仙台往復約600㎞ぐらいで“音を上げ”ているようなら、北海道なんて、夢のまた夢、このぐらいは平然とこなすほどの体力を証明しなくてはならない、自分自身に対して。
自分が信じられなくては、大胆な行動などできやしない。
天気予報も日本海側は雪の恐れ、なんてフレーズが少し気になったが、まぁ福島当たりは大丈夫じゃろ、と、また前回と同じく、山道を抜けて会津若松市へ抜けるルートを選択。
そして、これが大失敗となる。
前回も最初のトイレ休憩をした道の駅、今回も当然トイレ休憩により、さて、次のトイレ休憩はどこまで持つかな?とキック3回目でエンジンスタート。一路北上する。
雲はそこそこ出ているが、十分青空が広がり、山の風も、冷たい、というより、涼しい、という表現を使える程な、絶好のツーリング日和……
…、と、山影をひとつふたつ過ぎたあたりで、空模様がいきなり怪しくなってくる。
山の天気は変わりやすい。
まさしく。
あり、これ、粉雪?いや~、降ってきたなぁ、まぁ、まさか積もりゃしないだろ、と楽観視が甘かった。すぐに雨ともみぞれとも区別がつかないようになってきて、身を切るような冷風とともに、なんと雹が降ってきてヘルメットにカンカンあたり始めてしもうた!
まじかよ…
せっかく、ピカピカに磨いたSR、あっという間に、泥はねまみれのシルエットになってしもうた~っ くぅ~
じわじわと、体の前面がビショ濡れ、しかし、合羽を着るほどではない中途半端な降り具合、しかも、進行方向の右側の山の方、つまり東側の空は、反対側の、魔王が降臨してきそうなほど不気味にどよ~んと真っ黒けな西の空とは対照的に、けっこう、青空がチラチラ除く。この山影を回り込めば、あるいは、晴れるか…
なんて希望は、結局、猪苗代の横を走り抜けて4号線に合流するまで全くかなえられなかった。
どころか、かえって会津若松市近辺は晴れ間が見えていたのにも関わらず、猪苗代のあたりが一番暴風雨であった。
湖面は、荒れ狂う嵐の海のように波立っていやがるし。
野口英世記念館なんて、とても寄る気になんてなれやしない。
とにかく、太平洋方面に見える青空を追いかけて一気走りしてしまった。
私は、雨男、なのである。
20代の頃、社会人2年目のゴールデンウイーク、月曜日と金曜日を休むと9連休になるのを利用して、できたばかりの四国と本州を結ぶ瀬戸大橋を、愛車のヤマハFZ250フェーザーで走りたい!と思い立ち、会社の上司からは「帰ってきたら、机無くなってるからな」という、今ではパワハラ認定間違いなしの脅かしを、卑屈な苦笑いで喰らいながら、当時赴任していた群馬県前橋市をスタートし、総走行距離2,600㎞という、それまでの人生史上最長のツーリングなる冒険に旅立った。
…、が、四国を走っていた期間の半分が雨であった。
しかも、帰り道、長野の諏訪湖あたりで5月だというのに降雪に見舞われ、中央自動車道が通行止め、急遽宿泊するハメになってしまい、余裕をもって帰宅して、連休最後の1日は取りあえずゆっくりして体調を戻しつつ、ちょっと休日出勤して電話連絡メモを一通り確認してから、準備万端、仕事にスムーズ復帰しようとしたプランは見事御破算、帰宅した途端次の日からハードワーク、というスケジュールになってしまった、なんてちょっとほろ苦い思い出が、未だに記憶に残っている。
でも決して負け惜しみで言うわけでは無いのだが、かえって、そういう悪天候時の走行にまつわる思い出の方が、くっきりと記憶に残っていたりする。
還暦間近の今だからこそそう思えるのかもしれないが、おそらくこれは、人生においても言えることなのだ。
のほほんと生活できた時期なんて、後で思いだそうにも全く何をやっていたかなんて忘れている。
苦しいこと、辛かったこと、嫌だったことほど記憶に鮮明に残る。
そして、その経験が、今、取っている行動の指針になっている、というか、それを促す遠因になっていたりする、のではなかろうか、な?
晴天のツーリングで、唯一、記憶に残っているのが、友人2名と3台で伊豆一周ツーリングに仙台から出かけ、海沿いをぐるりと巡り、静岡側に回り込んだ時に、いきなり山影から現れた富士山を見た時である。
想わず、3人とも、走行中にもかかわらずヘルメット越しに聞こえるほどの絶叫をあげて感動した時のことは、今でもはっきり覚えている。
そして、「あぁ、やっぱり、富士山って“にっぽんいち”の山なんだ!」と、改めて実感したものだった。そんなことまで鮮明に覚えている。
あの時の富士山は、本当に“かっこ”良かった。
他にもきっと、晴天のツーリングで感動した絶景は多々あった筈なのに、はっきりと思いだせる記憶が無いのである。
それはそれでちと寂しいとは想うのだが、まっこと、思いだせないのだから仕方がない。
人生、山あり谷あり、とは言うけれど、実際、谷での身の施し方が重要なのだと感じる今日この頃。
山の時期は、ほっておいてもうまくいくもんなんだろう。
てなどうでも良いことを考え乍ら仙台到着。オヤジに蕎麦を作って食わせ、次の日は買い物などに付き合い、こ汚い台所まわりを掃除してやったりと、丸一日年寄りの世話焼き(老老介護??)。
そのまた次の日に、復路の出発。
朝早くにオヤジのアパートを出て、前回と同じく6号線を南下することにした。
自分には珍しく雲一つない晴天!
上の写真は、6号線をいわき市に入り、道の駅よつくら港を過ぎた当たりで海沿いの道へ入り、しばらく走ったあたりで出くわした、海岸が堤防に邪魔されずに見える開けた場所。この眺めはけっこうな掘り出し物であった。
ちょっと先に、灯台が見えていましたな。寄ってみようと思っていたのに、どこで止まるのかわからずに通り過ぎてしまったけれど、今回はこのまま、気分よく走れるのかなぁ~、なんて思ったことも、甘かった…
続く。