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SRカスタム第2弾! [SR400カスタマイズ]

 

 ハンドル角を調整してみて初めての“ちょい遠乗り”

 「赤い男爵」さんの店舗がある隣街まで、およそ20分以上30分未満のライディング。

 クラッチ、ブレーキ操作とも、手首の負担をほぼ感じず、これはやったぜ!と喜びもつかの間、やけに手が痺れる…ような……?

 ん?? なんか、痺れるよな? 前より…

 これは、何故、だ?
 何度も往復経験のある道。

 今までは、これほど手の平に痺れを感じることは無かった、はず…?

 隣街の「赤い男爵」さんの店舗についてSRを降りた時、今までに感じたことのないような痺れが、手の平に残っていた。

 んー? 手の平をさすりさすりしながらSRを担当メカさんにお渡しして、首をひねりながらカウンターの脇のテーブルにメットを置いて座り込んだ。

 いや、間違いなく、こんな痺れ感が手の平に残った覚えはない。

 何故だ?

 ハンドル角変更が、影響しているのか?

 と、想って工房に赴き、担当メカさんに一応、ハンドル角度自分でいじっちゃったんで、取り付けおかしくないかだけ見てもらえますか、とお願いを付け加えた。

 作業終了、無事、リアキャリアとサイドガーニッシュが取り付けられたSR。

 

 
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 あぁ、「旅感」出てるねぇ~。いいねぇ~。

 

 
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 アマゾンで、リアボックス注文していて先に我が家に届いていたので、一緒に取りつけてもらおうと、ゴム紐でリアシートにくくりつけて持ってって、取り付けお願いしちゃった。。

 

 
IMG00292~2.jpg

 

 最初は自分で取り付けようと思っていたけどリアキャリアがあんまし遅くに届いてしまったのでその間に決意が砕けてしまったのだ。

 まぁ、工賃3千円くらいだし…。

 楽しよう。

 「ハンドルも、問題なかったっすよ」と軽くメカさんに報告され、うむむ、「取り付け方」が問題ではなかったのは、一安心、なのだが、ではなぜだ、この、“今までに感じたことのない手の平の痺れ感の残り方”は……???

 全くの「おそらく」なのだが、今までは、手首の角度が立った状態でレバーを握ると、関節に痛みが走ってしまうので、クラッチ操作やブレーキ操作をするたびに、手の荷重を抜いて少し肘をたたんで手首の関節の角度がきつくならないようにして、レバーをニギニギしていたのだが、その時同時に、ハンドルから手の平に伝わる振動を逃がしてやっていたのかもしれない。

 ハンドルの角度を変えたので、いちいち手首の角度を気にせずに、ハンドルにどっかり体重をかけたままレバー操作をできるようになってしまったもので、ハンドルから伝わる振動を減少させる時間が全く無くなってしまったのか?な??

 しかし、それしか、原因が思いつかない。

 その分、確かに腰、というか、体幹の負担は間違いなく減っており、腰や背中の“ハリ”がそんなに気にならなくなったような気はしている。

 ので、まぁ、う~ん、結局、バイクに乗ればどっかこっかには体に負担をかけてしまう、ということなのかなぁ。

 ハーレーとか、アメリカンに乗ってる方は、あのふんぞり返っているようなライポジだと、どんな感じになるんだろうなぁ。

 予備校生時代、仙台の予備校まで、志津川という町から毎日原チャリで通っていた強者の友達がいたのだが(でも平日は一日おきぐらいに塩釜だったか、多賀城だったか、親戚の家に泊めてもらうとか言ってたと思ったけど)、乗っていたのがホンダのラクーン、というバイク(その後に出た電動アシスト自転車、じゃないよ)で、けっこう、アメリカンなポジションだった。

 確か、私が乗っていたMB5とは、デザインが違うだけの、2ストエンジン共有の兄弟車だったはずで、そんな関係でなんとなく仲良くなった。

 で、たまに“愛車交換”して昼休み買い食いに出かけたりしたものだが、その時、その「ふんぞり返るようなライポジ」が、なんか、道路を走っていると偉そうな気分になれて、「あぁ、“アメリカン”も、えぇなぁ~」と感じたものである。

 その後、MB5で自動車の側面に突っ込んでしまうという事故を起こし(相手が側道から飛び出したので、100%向こうの責任、厳密には、10対0にはならないけどね)、向こうの経費持ちでハンドル交換できることになったので、これ幸いと、バイク屋のおっちゃんに、「ラクーンみたいに、アップハンドルにして~!」と頼み、変えてもらったのである。

 とはいえ、MB5のスタイルでは、さすがにラクーンほどには上げられなかったようで(デザインが崩れすぎる)、おそらく、ハンドル三本の太さ分ぐらいの高さアップだったと思う。修理が終わって受け取りに行ったとき、ハンドルバーの付け根がUの字型にぐにょっと曲がって上がっていたのがやけに新鮮で、「おっ」と嬉しくなったのを未だに覚えているなぁ。

 そういえば、アニメで「スーパーカブ」とかいうの、あれ、面白いよね。

 アニメオタクの息子が茶の間で見ているのを何気に隣の台所のテーブルに座ってコーヒー飲んでいる時後ろから眺めていたのだが、脳細胞の奥に引っ込んでいた、甘酸っぱい記憶をつんつんと刺激されてしまい、「あぁ、そういえば、俺もそうだったっけ、…そんなこと、あんなこと、そうそう、あったっけなぁ…」と、高校生の頃原付免許をとるあたりからをいろいろと思いだしてしまった。ので、さっそく、仕事部屋に置いてあるデッキで録画予約を入れて、自分でも毎回観ております(^^; なんか、ブルーレイディスクで買っちゃいそう…な、気がする。最初の方、見逃したし。なんでこの娘、独り住まいで親がおらんのだ?なんだこの食生活は。体に悪いぞ、と言ってやりたい、が、あ、アニメか…。息子がいや~な顔して「うるせえよ」とかぬかしやがるし。どうしても、そういうところに目が行ってしまうのは、ジジイの証か…。

 ところで、MB5のハンドル交換。

 その程度のアップでも当然、ライポジがものすごく楽ちんになって、けっこう遠出が増えたような記憶がある。オヤジから「金食い虫」とイジメを受けていた予備校生だったから、まさか泊まりのツーリングとか行けなかったけど、山形とか、福島あたりまで行って、県境越えて独りで感動してたっけ。「福島だあぁ~」「山形だあぁ~」とかね。

 そういえば、岩手県の遠野市にも行ったな。

 こうみえても私は意外と読書好きなので、高校では、放課後活動は陸上部だったが、授業時間割内で週一時間だけ選べるクラブ活動では、「読書クラブ」なんてのに入っていた。

 が、ふつう、運動部は、放課後活動部と同じクラブに入るのが「不文律」としてあった。

 つまり、野球部、なら、「野球クラブ」、柔道部なら「柔道クラブ」てな感じ。

 しかし、その逆はけっこう、推奨されていた。

 どういうことかというと、たとえば、放課後活動は文化部の吹奏楽部のやつが剣道クラブに「体験入部」みたいにして参加したり、美術部のやつが卓球クラブに入ってみたり、という感じだ。

 やってはみたいんだけど、体力的に自信が無いし、週一時間のクラブ活動なら…てな感じ。

 なかなか良いシステムだったと思う。我が母校、仙台〇高校、今は、どうなっているのかなぁ。

 だから、運動部が文化クラブに参加したっていいだろう、というのが、私の屁理屈だったのだが、まぁ、縦割り運動部のしきたりには確かに相いれない思想だったかもしれない。

 少しでも練習時間を稼ぎたい運動部、木曜日の六時限目、クラブ活動として始めてアップを済ましてしまい、そのまま部活動の専門練習に即入る、というのがまぁ“常識”だったわけだ。

 ので、陸上部の先輩からけっこうマジで嫌味言われたっけ。

 「なんで陸上部なのに、「陸上クラブ」に入んねーんだよ。おめーだけだろーが、他のクラブに入ってんのよおぉ~。あぁん?」てな感じ…

 なんか、他のこともやってみたかっただけなのだが、どうも、日本人はそういうところ、少しストイックすぎやしないか?

 いろいろやってみた方が、見方が広がって“本業”にも良い影響が増えるような気がするんだがな。

 ブルース・リーの「燃えよドラゴン」を友人宅で観てカンフーに目覚めた私は、もう、それもやってみたくなっちゃって、陸上部の活動が終わったら、一度家に帰り、それから仙台の街中の道場まで、とある中国系格闘技を学びに週2回通ったりした。

 実際、陸上部はその格闘技を始めてからは、およそ「体力作り」的に所属していただけだったので、中学から陸上一筋的なやつらとは、ちと温度差があったのは仕方がなかった。

 だって、ベンチプレスセットがあった部活って、野球部と柔道部と、投擲種目のある陸上部だけだったんだもん。部活辞められないわな。筋トレしたくて…

 筋肉をつけ、私の永遠のヒーロー、ブルース・リーになりたかったのだ。

 愛称に、「青三」とつけているのは、燃えよドラゴン、ブルース・リーをもじったものだ。

 ブルース・リー

  ブルースリー

   ブルー・スリー

    …、ブルー(青) と、 スリー(三)……

 く、くだらねえぇぇ~~っ (≧▽≦)

 

 ととととにかく、あの頃は、バイタリティーあったなぁー。若かったなあー。

 高校生の生意気盛り、先輩の言うことなんか無視して、けっこう、いじめまではいかなかったが、かわいがられもしなかった。

 当時から、“上司”には反抗的だったようだ。その頃はあんまし気にもしなかったのだが…

 んで、前置きがまた長くなったが、どういう事かと言うと、その読書クラブで柳田国男の「遠野物語」を読まされて(毎週一冊、顧問の先生も含めて各自、読んで面白かった本を披露して、他のクラブ員も読んでみて「読書感想会」を行うのが活動内容だったのだ)、河童やら、座敷わらじの話とか、当時の高校生としてはちと卑猥なお話なんかもあったような…?いろいろ面白かった覚えがあるのだが、詳しくは忘れちゃったなぁー。また読んでみようかな。

 ので、「遠野物語の遠野市」、は高校生の頃から行ってみたい場所だったので、予備校生の時夏休みとも言えないような短い休み(盆休み??)に、無謀にも原チャリで日帰りツーリング決行したのだ。 

 が、朝夜明けと同時頃に出発したのに、遠野市ついたらもう昼過ぎで、これは帰りがやばいとどこにも寄れずにまさしくトンボ返りで帰ったけど、仙台着いたらやっぱり真夜中(次の日になってたかな?)になってしまい、さすがに友達と図書館で勉強してたとか言い訳が成立せず、家族中から怒られたような気がする…「予備校生のクセに、勉強せんかい!」な感じで…。

 詳しくは忘れてしまったが、そんなわけで、岩手県遠野市は、ちと黒歴史。

 まぁでも、そんな遠くにもつい旅立ってしまいたくなるほどに、ハンドル変えたMB5は乗りやすいバイクになっていた、ということでもある。

 オリジナルポジションの時は、アクセル全開!とか言って前傾姿勢になる分には良かったんだけどね。当時、まだ原チャリに規制がかかる前だったから、7馬力のMB5、メーター読みで時速80㎞は軽く越えてたし…。

 原チャリで、90㎞近く出たんだよ! すごくない?

 しかも9リットルもタンク容量あったから、2ストとはいえ満タンにするとかなり走り続けられたと思ったし。1日のうちに2回も給油したのは、おそらくその遠野物語ツーリングの時だけだった記憶しかない。2ストオイルの方がかえってすぐに無くなっちゃって、けっこうお小遣いが悲しいことになってたような記憶があるな。

 一般道なら、郊外の国道も余裕で車の流れに沿って延々と走れていたのだ。

 白バイにはよく目をつけれられていたが…

 あぁ、なんかまた乗りてぇなぁー。俺の真っ赤なMB5。

 わが青春のマシン。

 まぁつまり、バイクにおいて、ハンドル位置、というものは、非常に乗り心地に影響を与えるものだ、ということは、ライダーなら良く理解できるのだ。

 乗らない人だと、なんであんなの(セパハンとか)にすんの?とか聞いてくるが、まぁ、どう説明しても、峠とか攻めてみないと、実際の所はわからないだろうなぁ。

 ただ、その友達のラクーンに交換して乗ってて、確かそいつの帰宅に途中まで付き合ってやってだったと思うのだが、松島あたりまで一緒に走って、そこで不良を気取って夕焼けの海を眺めながら一服し(法律違反です)、「じゃあな」と別れて仙台に戻ってきたわけだが、やけにお尻が痛くなってたような気がする。

 やはり、腕とか、腰や背中が立って楽になる分、お尻荷重は増えてしまうのかな?

 上半身を楽にするか、下半身を楽にするか。

 丁度良いのが当然丁度良いのだが、まんず、これは「好み」というか、「ライディングスタイル」の問題である。

 おそらく、高速道路を時速90㎞前後で風の抵抗を受けながら、やや前傾姿勢で走る分には、このSRのオリジナルポジションは、楽に走れるのかもしれない。実際、仙台から高速で帰ってくる時は、特に違和感を感じるところは無かった。スロットルアシストも楽だったし…(^^;

 しかし、そんなシーンより、普段国道をゴー・ストップで走る方がよっぽど多いのだから、やはり手首に負担がかからない姿勢を取れる方が私にはベストだ。

 が。

 高速走行における快適性を犠牲にすることなくツーリングができるよう、私は、風防における「秘密兵器」をも手に入れてしまったのだっ!

 私は、この秘密兵器を手に入れて帰宅する途中、こんな替え歌を思わず口ずさみながら帰ってしまったぞ。

 【 CーCーBの「ロマンティックはとまらない」のメロディーで歌ってください】

 ♪ 誰か、カスタマイズ止めて カスタマイズ

   財布のぉ 中身がぁ 苦しっくなるぅ~(苦しっくなるぅ~)♪

 

 まぁ、みなさん目星はついていると思うが、「秘密兵器」については、次回。

 再見!!

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