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二塁打、首位打者、そして不振に… [攻撃論]

 前回の記事で、ヒットは打てるけどシングルヒットばかりで、非力なのは否めない、なんて書いたら、三男君、さっそく次の試合で高校野球で初めてツーベースヒットを放った。

 前回の記事を書く前にちょっと確認しておこうと思って、長打を打ったことあるかどうかを聞いたのだが、それを皮肉とでもうけとったのか、「カチン」とでもきてムキになっていたわけでもあるまいが、ちと、振りが雑に大きかったような…フライアウトが多かった。

 本当は、その日2試合の練習試合、2試合続けてツーベース、かもしれなかったのに、1試合目は走塁のまずさから2塁に進めず、シングルヒットに記録されてしまった。

 手抜き野郎だから、ライトが全力バックするようなでかいライナーをせっかく打ったのに、後ろ向きにライトがグラブを差し出して、捕球したようなしぐさをしたので、アウトになったと思い込み(まぁ、私もアウトだ、と一瞬がっかりしたのだが^^;)、一塁の手前でスピードを緩めてしまったのだ。

 確かに一度グラブの中にボールは入ったようなのだが、おそらく、伸ばした腕を戻す勢いでボールがグラブからスポッと抜けてしまったのかどうなのか、捕球したつもりになっていたライトもすぐに気付いてあわててグラウンドに落ちたボールを追いかけ始めたので、落球したのに気付いたのだが、その転がる方向がたまたまセカンドベース方向だったもので、ランナーの三男、再度加速しようとしてもちと危険な雰囲気、んで、ファーストベースに戻らざるをえないようになってしまったのだ。

 こういうところが一番、うちの三男の“問題点”

 可能性が低いとみると、さっさと諦め切り捨ててしまいがち。なんというのか、執着心が薄いんだよなぁ。ジタバタとあがこうとはしないタイプ。“それ”がかっこいいと映るかどうかは、時と場合によるんだぜ、おぬし。

 親に反対されても、この進学校を受験しようとした、あの“無謀さ”と“粘り”を、野球でも発揮してくれよぅ^^;

 

 以前だったら帰りの車の中で私からくそみそにこけおろされるところであるが、今は“趣味”なのだろうから、「感想」は述べても今更「叱り」はしない^^; けどさ…

 いつも思い通りにいくわけはないので、エラーする、三振する、というのはこれは致し方ないと思うのだが、気持ちの入っていないプレイによりチャンスを逃してしまう、のでは、ウチの三男の高校のようなチームでは、ほかのチームに勝てる可能性が、“限りなくゼロ”にますます近くなってしまう。

 どんな強豪チームでも、やはり高校生、どっかこっかにミスはあるはずで、そこにつけこめるかどうかでかなり試合状況は変化してくる。

 かっこわりぃ、と思われようが「ようやるよ」と言われようが、“弱者のチーム”は、そういうところにえげつなくつけこみ、食い下がる野球をしていかないと、パワーやスピード、戦力では劣っている相手が多いんだから、公式戦のトーナメントで続けて勝つのは難しい。

 「考える力」では負けてないはずなんだから、頭使って攻められるところは攻めて相手から嫌がられないとねぇ。

 

 甲子園をテレビで見ていると、ただの外野フライなのにセカンドベースまで全力疾走する選手をよく見かけるが、あれはパフォーマンスでやっているわけでもなんでもなく、もしも外野がポロリとしてくれたら二塁まで進むことができるからなのだ。

 根性出しでも気合入れでも何でもなく、冷静な戦略によるプレイであるのだ。

 メジャーの川崎宗則選手も、平凡な外野フライでも2塁まで全力疾走していたおかげで、外野選手がポロッとしている間にセーフになり、アメリカのメディアに賞賛されていたニュースを見たことがあるが(メジャーでそんなことする選手は超珍しいのだろうし)、ランナーが2塁にいるのと1塁でストップしているのでは、得点の可能性が段違いに変わってくる。

 そういう“意識”が、すべての部員にあるかないか、で、9回しかない限られた攻撃回数の中、“チャンス”と呼ばれるタイミングの数もかなり違ってくるはずだ。

 まぁ、そういうところがしっかりできてるからこそ、彼らは甲子園にいるのだろうけど。

 隙なく攻めて得られたチャンスで、もぎ取ったその1点が、その試合の勝敗を決めたなんてゲームはいくらでもあっただろう。

 戦力的に劣るチームであるからこそ、尚更一瞬たりとも気を抜いてはいけないのである。

 集中力を切らさず、最後まで気を抜かない、あきらめない、という“タクティクス”は、どんなチームだって実行できる、りっぱな『作戦』なのだ。

 いくら野球は趣味、とはいえ、ではなぜこんなに長時間、二度と戻らない貴重な青春の日を、日焼けで真っ黒けになり、泥まみれになってグラウンドの上でヒーヒー苦しみながら汗を流しているのかといえば、それは、己を磨き、精神を鍛錬し、仲間たちと切磋琢磨し、社会に出て人の波に揉まれ乍らもたくましく活きていけるよう、最終的には人間としての“格”をあげておこうとするから、と、言えるだろう(若くしてやってる最中はそこまで考えてないだろうけど)

 まぁ、歳取ってからこじつける精神論ではあるけれど、いい加減な気持ちでだらだらへらへらやるくらいなら、いっそ文化部にでも所属して、勉強を真剣にやってもらうほうが、経費も掛からず保護者会のお手伝いも無くて良いわさ。

 

 それにしても、せっかくヒット打ったのに、「消極的な」走塁で怒られちゃうぐらいなら、かえって豪快に空振り三振して天を仰いでさっさとベンチに引き揚げた方が印象は良かったりする^^;

 本人曰く、再加速しようと思ったけど、目の端に、セカンドのランナーがベースに戻ろうとしたのが一瞬見えてしまい、また脚が止まってしまった(んで、あきらめた)、なんてベタベタの言い訳しくさっていたが、それならばこれまたセカンドベースにいた同じ一年生のランナー君もミスで、捕球されたときのことを考えて、タッチアップを考えてすぐベースに戻っていなければいけなかったものを、ハーフウェイでついボールの行方を眺めながらウロウロしていただけだったので、そういうタイミングで戻らざるを得なくなってしまったのではないかと思う。

 セカンドランナーであるならば、外野がバックする打球なら、もしも抜ければ余裕でホームインできるはずなのだから、捕球された場合、ライトが無理な姿勢になっていたらタッチアップして十分サードまでいける、と素早く「判断」してきっちり進塁できるようにプレイしていかないと、攻撃力で劣るチームは、他の強豪校チームなんかにゃ余計太刀打ちできなくなってしまう。

 結局、ライトが落としたのを見てそれからあわててサードに向かったのだが、それにしてもライトからサードは距離があるので十分セーフになる。そう考えればバッターランナーは、いくらセカンドランナーがベースに戻ったのが目に入ったって、十分リスタートできると判断して構わず二塁へ突進しなければいけなかったのだ。捕球されてたらどっちにしろアウトなんだからさぁ。

 勉強の偏差値あげるのは当然として、「野球偏差値」も上げて欲しいものである。

 ボーイズの指導者さん方にもよく、「バッティングいいのに、なんかミスが目立っちゃうんだよなぁ」と嘆かれたのだが、今にして思うとそれはおそらく、バッティング能力に比較して走塁が「非常に」消極的なので、そのアンバランスさが“余計”目立つ、ということなのだろう。打力でレギュラーになれても、走塁ミスで交代させられる、なんてシーンをけっこう繰り返し見せられたような気がする…|д゚)…

 私の持論として、『走塁力は“メンタル力”』だと思っているので、いわゆる“度胸”の無さが走塁にも表れているのであろう。

 足の速さ云々はまぁ、速ければ当然有利、という程度のことであり、盗塁が成功するかどうか、なんかも、実は投手の癖を盗むとか、配球を読むとか、そういった「野球偏差値」的な“集中力”の問題であるのだ。

 野球における“走塁”は、「足の速さ」よりも、「判断する速さ」のほうがよっぽど重要なのだ、と感じる。

 一度、ロッテかどこかの球団が、100メートル走の日本記録保持者だったかオリンピック選手だったかをスカウトし、代走専門で使ったらしいけど、全く盗塁を決められずにすぐ戦力外になったとかいう話を雑誌か何かで読んだ覚えがあるが、足が速ければいいというものではないのは間違い。

 盗塁王になる選手が足が速いのは当然であるが、足が速いから盗塁王になれるかどうかはわからないのだ。

 ちなみにウチの三男君、学童時代は、「ポンピュンラン」のおかげでベーラン一周は、7年間かけて取り続けた、野球部員のべ30人くらいの記録で歴代2位のタイム保持者だったし(1位の子は陸上大会で県2位のタイムをたたき出す子だった)、ボーイズ時代も、ベスト3の中にはなかなか入れなかったようだが、たいていそのメンバーのすぐ後ろぐらいは走れていたはずだ。

 つまり、足はそこそこ速い方、なのである。

 イチローよりもっと足の速いメジャーの選手はいくらでもいるらしいが、イチローの盗塁成功率はメジャーにおいても非常に高いそうである。そこは判断力、集中力の差、なんだろう。

 だから、もう少しの“集中力”と、三男の場合、“無謀さ”をその判断に盛り込んでければ、最近任されているトップバッターの打順も、しっかりとこなしていけると想うんだけどなぁ。

 ただ、今の段階では、絶対間違いのない正しい判断、なんてできるわけがない。その“判断”が正しいか間違っているかなんて、とにかく一度はやってみないとわからない。

 「よし!」と自分では“判断”したんだろうが、アウトになった、つまり結果的に失敗だったとしても、次に“判断”する機会が来たとき「進むか止まるか」の決定するための判断材料として、フィードバックすれば良いだけの話だ。

 人生、トライアンドエラーの繰り返し。

 若いうちは、どんどんチャレンジして、失敗と成功を繰り返し、多くの“判断材料”を仕入れておかなければいけないのだ。

 よく、聞くは一時の恥、聞かざるは一生の恥、なんていうけど、全くその通りで、小学生の時は「総理大臣の名前って、なーに?」なんて無邪気に聞けても、私ぐらいの50過ぎのオヤジが聞いたら、「認知症か?」なんて本気で心配されてしまうようになってしまう。

 人生、小さなミスを恐れ手を出さないで知らんぷりしてみても、先に進もうとすれば、そのうち否応なく対応せざるを得ない“壁”となって立ちふさがり、その時にはもう大きな“トラブル”になってしまっていて、解決するのに余計大きなエネルギーを使う、なんて場合が多かったと思う、経験上…^^;

 “問題を先送り”しても、“解決”しなければ、いつかそのうち“先”に進めない状況が「必ず」やってくるのだ。その時に焦ってみても、もう“チャンス”は「ラストの一回」しか残ってなかったりする。そして、そこで失敗してしまうと、また一から新たにすべてやり直さなければいけなくなったりする。

 逆に考えれば、もしも失敗したって、早ければ早いほど立ち直り、やり直せるチャンスも早く、多くやってくる、と言えるのだ。

 なことで、「皮肉」にならないように、あくまでも「アドバイス」として、走塁について私の意見を述べ聞かせた後で、人生に繋がるように締めくくりとして、失敗しないやつは成功もしない、だからおまえはもっともっと失敗して怒られたほうがいいと思うよ、1年生のうちは、失敗して当たり前、2年、3年になってから低レベルのミスをやらかす方がよっぽど恥ずかしいんじゃないの、なんて言ったらば、ボソッと、「オヤジのクセにいいこと言うじゃないか」とそっぽ向いたままほざきやがった^^;;;

 そらさ、おのれよりけっこう長く生きてて、いろんな本も読んできたからね。最近は、多少“語彙力”がついてきたのか、私の「受け売りの名セリフ」も、それオヤジの考えた言葉じゃないだろ、なんていちいち憎まれ口のつっこみを入れてきたりせず、けっこう素直に、その言葉の意味を考えようとする態度をとるケースが増えてきた。

 2試合目のツーベースは僅差で負けていた最終回の表の攻撃、文句なく右中間を破り、そこから打線に火がついて逆転、練習試合においてでも久しぶりの勝利を見ることができたわけだが、私にはちと不安材料があった。

 それは、うちの三男君、引っ張って長打を打った後は調子を崩す、というパターンがそれまでにも何度かあったのである。

 おそらく、“良い感触”が身体と意識に残ってしまい、また長打が打ちたくなって、力みが入り、インサイドアウトのスイングができなくなり、体が開きやすくなるから、ではないかと推察している。

 案の定、その後、二試合続けてノーヒットなんて日が増え、打率もおそらく下がっているはずだ(ちなみに、ツーベースを打った試合後にマネージャーさんが出した5月の打撃成績は、なんとうちの三男君が二年三年を押しのけ首位打者を獲得したそうだ)。

 んで、その後の練習試合の帰り、夕飯時に「今日の結果はどうだった?」と尋ねたときに、「今日はノーヒット!」と不機嫌そうに返事したタイミングを見計らって、「あのさ、おまえ、昔から長打を打った後は調子崩すとき多いって、想わない?俺前から観ててそう感じるんだけど」と切り出してみた。

 中学生の頃ならたいてい「そんなことねーよ!」とかふてくされたりしたものだが、さすが高校生、ある程度の自己分析力もついてきたのか「やっぱりそうかな?どうも最近、自分でもな~んか、当たる瞬間ボールみてないような気がしてた」と返してきた。おぉ、ずいぶんと成長したのぉ~

 んで、そういうときはとにかく逆打ちに徹した方が良い、という、いつもの結論に至るのである。

 ところで私は“流し”打ち、という表現は極力使わないことにしている。“流そう”という言葉でバッティングを意識してしまうと、どうも上体がつっこんでバットの角度で打球の方向を出そうとするというか、ボールに合わせるスイングになってしまう、というのか、なんとなく振り切れない小手先のバッティングになってしまう時が多い気がするのである。

 そして三男の「逆打ち」のセオリーとして、相手投手の一番速いストレートにタイミングを合わせ、「アウトコースの速球」を、反対方向のファールライン上の角度にライナーが飛ぶポイントでボールを叩く、というイメージを持って打席に入ることで良いでしょう、という確認をしたのである。

 おそらくそうしておくと、打とうとするポイントが後ろになり(これがいわゆる“呼び込んで打て”ということ?)チェンジアップやカーブなどのタイミングを外してくる変化球にもぎりぎり対応しやすいだろうし、ストレートでもインコースにきたら、これはもう仕方ないのでとにかくがむしゃらに“気合”で素早く体を回転させて思いっきりスイングすれば、もしもうまく肘が抜けて芯でジャストミートできたらば、非力な三男君の腕力でもライトオーバーの長打になる可能性が非常に高いのである。

 私の“打撃格言”として、「アウトコースは“対応” インコースは“反応”」だと思うのである。

 まぁ、もっと良いイメージの持ち方があるのかもしれないが、とにかく、ウチの三男の場合、最初からインコースを長打する、なんてイメージで打席に立つとろくな結果にはならないのは確かだ。そうすると体が開きやすくなっちゃって、ストレート以外の球種には対応しにくくなってしまうのは間違いなさそうである。

 三男の場合は、「長打」のプラス1ないし2コの進塁分は、あくまで“おまけのプラス20点”に過ぎず、相手ピッチャーの、アウトローを狙った自慢の速球をレフト前へラインドライブのヒットを鮮やかに放つ、というのが自分の【百点】のバッティングなのだ、と常に意識している方がよいはずだ。

 かえってそのほうが結果的に長打になる可能性が高まるのではないかと感じております。

 ガンガン引っ張りにかかっていいのは、おそらく王貞治さんのように、オーバーフェンスのパワーがあるバッターだけなのだろう。

 そしたらば、次の土日、隣の県への1泊の合宿を兼ねた遠征では、二日間4試合で計5本のヒットを打ってきたぞ~と、聞きもしないのに向こうから開口一番報告してきよりました^^;

 こういう「修正力」が、ボーイズ時代に比べると格段についてきたように感じる。そういう“人間的に成長”したところが、おそらくバッティングの好調さにもつながっている、のだろうか?

 これって、もしかして、受験勉強を生き抜き合格を勝ち取ったという、自信の成果もあるのであろうや?

 なるほど、誰かさんの著書にでも書かれる言葉のように、「野球力」=「人間力」、である、ということなのか。

 

 しかし、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥、とか、失敗しないやつは成功もしない、なんて話は、よっぽど自分にも当てはまることなんだよなぁ。

 歳取って、どうにも、新しいこと、今までと違うやり方、に挑戦することに少し、いやかなり億劫になっている自分に気づく。

 息子たちに偉そうにいう以上、大人はもっと態度でしめさないといかんよなぁ。

 人生は一度きりなんだから、チャレンジし続けないと。死ぬまで。


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