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SR試乗インプレッション~往復600キロ慣らしツーリング報告 [ツーリング]

 前回は、エストレヤとのハラハライライラ道中記だったが、今回は、新相棒にして、死ぬまでの“伴侶”にしようと思っている、我が蒼きヤマハSR400・ファイナルエディション

 まだタイヤに緑色のライン(これけっこう恥ずかしい気がする…)が残った状態での旅立ちとなる、実家である仙台への帰省ツーリング。

 最近、めっきり衰えの目立つオヤジに会いに、ついでに慣らしも完了させちゃおうという魂胆なわけである。

 ただし、今宮城県はコロナ禍が吹き荒れているので、極力コンビニとか寄らないで、昼飯も家に置いてあったカロリーメイト一箱をジャケットの腰ポケに突っ込み、道の駅もトイレ休憩のみにして、店舗には寄らないようにして、後はガソリンスタンドもセルフだけにするつもり。夕飯もわざわざ買い出しに出なくても済むように、地元の道の駅で一番美味しいと評判の蕎麦を買い込んだ袋に、庭で採れたばかりの長ネギも突っ込んで、さぁ、準備万端、にて、出発~! 

 走り出す前に確認した積算走行距離メーターも、131.3㎞と、まだやっと三桁に到達したばかり。

 はてさて、振動による、身体的負担がいかほどか。

 不安はまさしくそれである。

 仙台往復約600㎞ぐらいで“音を上げ”ているようなら、北海道なんて、夢のまた夢、このぐらいは平然とこなすほどの体力を証明しなくてはならない、自分自身に対して。

 自分が信じられなくては、大胆な行動などできやしない。

 天気予報も日本海側は雪の恐れ、なんてフレーズが少し気になったが、まぁ福島当たりは大丈夫じゃろ、と、また前回と同じく、山道を抜けて会津若松市へ抜けるルートを選択。

 そして、これが大失敗となる。

 前回も最初のトイレ休憩をした道の駅、今回も当然トイレ休憩により、さて、次のトイレ休憩はどこまで持つかな?とキック3回目でエンジンスタート。一路北上する。

 雲はそこそこ出ているが、十分青空が広がり、山の風も、冷たい、というより、涼しい、という表現を使える程な、絶好のツーリング日和……

 …、と、山影をひとつふたつ過ぎたあたりで、空模様がいきなり怪しくなってくる。

 山の天気は変わりやすい。

 まさしく。

 あり、これ、粉雪?いや~、降ってきたなぁ、まぁ、まさか積もりゃしないだろ、と楽観視が甘かった。すぐに雨ともみぞれとも区別がつかないようになってきて、身を切るような冷風とともに、なんと雹が降ってきてヘルメットにカンカンあたり始めてしもうた!

 まじかよ…

 せっかく、ピカピカに磨いたSR、あっという間に、泥はねまみれのシルエットになってしもうた~っ くぅ~

 じわじわと、体の前面がビショ濡れ、しかし、合羽を着るほどではない中途半端な降り具合、しかも、進行方向の右側の山の方、つまり東側の空は、反対側の、魔王が降臨してきそうなほど不気味にどよ~んと真っ黒けな西の空とは対照的に、けっこう、青空がチラチラ除く。この山影を回り込めば、あるいは、晴れるか…

 なんて希望は、結局、猪苗代の横を走り抜けて4号線に合流するまで全くかなえられなかった。

 どころか、かえって会津若松市近辺は晴れ間が見えていたのにも関わらず、猪苗代のあたりが一番暴風雨であった。

 湖面は、荒れ狂う嵐の海のように波立っていやがるし。

 野口英世記念館なんて、とても寄る気になんてなれやしない。

 とにかく、太平洋方面に見える青空を追いかけて一気走りしてしまった。

 私は、雨男、なのである。

 20代の頃、社会人2年目のゴールデンウイーク、月曜日と金曜日を休むと9連休になるのを利用して、できたばかりの四国と本州を結ぶ瀬戸大橋を、愛車のヤマハFZ250フェーザーで走りたい!と思い立ち、会社の上司からは「帰ってきたら、机無くなってるからな」という、今ではパワハラ認定間違いなしの脅かしを、卑屈な苦笑いで喰らいながら、当時赴任していた群馬県前橋市をスタートし、総走行距離2,600㎞という、それまでの人生史上最長のツーリングなる冒険に旅立った。

 …、が、四国を走っていた期間の半分が雨であった。

 しかも、帰り道、長野の諏訪湖あたりで5月だというのに降雪に見舞われ、中央自動車道が通行止め、急遽宿泊するハメになってしまい、余裕をもって帰宅して、連休最後の1日は取りあえずゆっくりして体調を戻しつつ、ちょっと休日出勤して電話連絡メモを一通り確認してから、準備万端、仕事にスムーズ復帰しようとしたプランは見事御破算、帰宅した途端次の日からハードワーク、というスケジュールになってしまった、なんてちょっとほろ苦い思い出が、未だに記憶に残っている。

 でも決して負け惜しみで言うわけでは無いのだが、かえって、そういう悪天候時の走行にまつわる思い出の方が、くっきりと記憶に残っていたりする。

 還暦間近の今だからこそそう思えるのかもしれないが、おそらくこれは、人生においても言えることなのだ。

 のほほんと生活できた時期なんて、後で思いだそうにも全く何をやっていたかなんて忘れている。

 苦しいこと、辛かったこと、嫌だったことほど記憶に鮮明に残る。

 そして、その経験が、今、取っている行動の指針になっている、というか、それを促す遠因になっていたりする、のではなかろうか、な?

 晴天のツーリングで、唯一、記憶に残っているのが、友人2名と3台で伊豆一周ツーリングに仙台から出かけ、海沿いをぐるりと巡り、静岡側に回り込んだ時に、いきなり山影から現れた富士山を見た時である。

 想わず、3人とも、走行中にもかかわらずヘルメット越しに聞こえるほどの絶叫をあげて感動した時のことは、今でもはっきり覚えている。

 そして、「あぁ、やっぱり、富士山って“にっぽんいち”の山なんだ!」と、改めて実感したものだった。そんなことまで鮮明に覚えている。

 あの時の富士山は、本当に“かっこ”良かった。

 他にもきっと、晴天のツーリングで感動した絶景は多々あった筈なのに、はっきりと思いだせる記憶が無いのである。

 それはそれでちと寂しいとは想うのだが、まっこと、思いだせないのだから仕方がない。

 人生、山あり谷あり、とは言うけれど、実際、谷での身の施し方が重要なのだと感じる今日この頃。

 山の時期は、ほっておいてもうまくいくもんなんだろう。

 てなどうでも良いことを考え乍ら仙台到着。オヤジに蕎麦を作って食わせ、次の日は買い物などに付き合い、こ汚い台所まわりを掃除してやったりと、丸一日年寄りの世話焼き(老老介護??)。

 そのまた次の日に、復路の出発。

 朝早くにオヤジのアパートを出て、前回と同じく6号線を南下することにした。

 自分には珍しく雲一つない晴天! 

IMG00159~3.jpg
 
 上の写真は、6号線をいわき市に入り、道の駅よつくら港を過ぎた当たりで海沿いの道へ入り、しばらく走ったあたりで出くわした、海岸が堤防に邪魔されずに見える開けた場所。この眺めはけっこうな掘り出し物であった。
 ちょっと先に、灯台が見えていましたな。寄ってみようと思っていたのに、どこで止まるのかわからずに通り過ぎてしまったけれど、今回はこのまま、気分よく走れるのかなぁ~、なんて思ったことも、甘かった…
 
 続く。

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