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「私の背中を見なさい」 [メンタル]

 しかし、もうすぐ3月だというのに、寒すぎる。

 そのくせ、日中晴れて風もなかったりすると、汗ばむような気温になったりする。体調管理の非常に難しい季節ですなぁ。

 お寒いと言えば、日本の政治家達も、相変わらずお寒い議論の繰り返しで、国会答弁も観る気がしない。ロシアじゃプーチンさんも陳腐(チンプ)ーな行動で、一時期の「リーダーシップ」失い、政情も不安定だし、オバマ大統領もその華々しいデビューから一転、かなり“お寒い”幕引きになりそうである。

 今、切実に、世界中で「リーダーシップ」を取れるトップ、が求められているようである。

 だからといって、突っ走れば良いってもんでもないしなぁ。大阪の橋本知事さんも、このまま日本の頂点まで突っ走れれば、なにか劇的にいろんなモノが動きそうな気もするけれど、これから、必ず脚を引っ張る輩が暗躍するんだろうしなぁ。個人的にはあまり橋本氏は好きではないけれど、このままでは日本は何も変わらず、どんどん沈没して行くばかりであろうから、ここは「強烈なカンフル剤」が必要になってくるのかもしれない。ただ、そのカンフル剤が自分の家庭に取って、良薬であるか、“劇薬”となるかは全く分からないので、そこらへんは覚悟しとかんとあかんのでありましょうな。

 野田総理もなぁ… ここ数代の総理大臣からしたら、私は非常に良くやっている方だと評価してはいるんですが… では、「日本のリーダー」か? と問われたら、いやま、そら、そういう気はしない、と答えるだろうしなぁ。

 なんにせよ、自由民主党はうざい。てめーらだろうが、ここまで日本をダメにしてきたのは。その罪を棚にあげといて、どのツラ下げて偉そうなことが言えるのだろう。とにかく、自民党にだけは、もう投票しないぞ俺は。

 まぁ、今の日本の政治家で“期待”できるのは、橋本氏ぐらいしかいないでしょうなぁ。みんなの党の渡辺さんも、親父さんの足元にも及ばない様だし。しかし、ほんとうに橋本氏が日本のリーダーになれるのか? その脇に、誰か超強力な「名参謀」がつかないと、いつかどこかでコロッと転びそうな気もするんだが…

 

 「リーダーシップ」という言葉は良く、チームスポーツの中で重要視されるモノである。

 最近、世界最高の女子サッカー選手と表彰を受けた澤穂希選手などは、まさしく、「リーダー」と呼ぶにふさわしい方だろう。

 なんといっても、試合に負けそうで、苦しくなったらこうしろと、チームメイトに伝えたという言葉が鳥肌モノである。

 「苦しい時は、私の背中を見なさい」

 …

 普通の人、こんなことが言えますか?

 “キャプテン”と呼ばれている、そん所そこらの選手の中にだって、こんな事滅多に言える奴はいないぞ。

 なんてすごい人なんだ。

 この人こそ、真の【リーダー】

 サッカーを引退なさったら、是非、政界に出馬して頂いて、総理大臣になっていただきたい。きっと、日本の政治は好転していくだろう。なんて、まさか総理大臣は無理だろうけど、橋本さんが総理大臣で、澤さんが官房長官なんて組み合わせだったら、なんか最強チームができるような気がするんだがな? 誰も怖くて反論できなさそうな…?

 

 …冗談はさておき、では、リーダーシップ、とは、なんぞや?

 …う~ん…

 

 まず、リーダーとは、なんぞや。

 私は、「キャプテン」と「リーダー」とは、また違うモノではないかと想っているのである。

 キャプテンは、「言葉」と「行動」で皆を引っ張っていく存在、リーダーとは、「実績」と「態度」によって、周りが自然と認めてしまう存在、頼ってしまう、引っ張られてしまう存在、と言えるのではないか。

 「キャプテンシー」という言葉と、「リーダーシップ」という言葉には、そのニュアンスに違いがあると感じる。

 たとえば、去年までの楽天イーグルスならば、キャプテンはキャッチャーの嶋選手だろうが、リーダーはなんといっても山﨑武司選手でありましょう。

 キャプテンというのは、あらゆることを細々と気にかけ対応していかなければならないが、リーダーは、とにかく“成績”を出すこと、そしてチームを勝利に導くための中心選手である事、それが一番求められている役割だ、と言える感じがする。

 ということは、リーダーシップを取るためには、チームで最高の成績を実戦の中で叩き出していく人物がなるべきなのだ…、じゃないや、べき、ではなくて、そう自然となっていくものだ、と言える。

 キャプテンは「指名される」者、リーダーは「認められる」者。

 ある意味、キャプテンは、成績自体はそこそこでもかまわないのではないか。そら、成績がいいのに越したことは無いが、実戦での成績よりかは、チームメイトをいかにまとめることができるか、監督やコーチなどの指導者の意思を部員に徹底させられるか、つまり、“人望”があるかないかで選ばれるべきである。縁の下の力持ちのように、全ての面で“優等生”であることを求められる存在である、と想う。

 それに比べると、リーダーは、ある意味「イエスマン」ではチームの元気が無くなってしまう、という事もあるだろう。つーか、そういう選手は周りが「リーダー」とは認めてくれない。リーダーは、監督がどうこう言ったって我が道を行く、そして文句のつけようのない成績を叩き出し、監督さえ一目置かせる、という人物が自然となるものだ。

 だから、リーダーにキャプテンの役割を与えようとする事は、逆にチーム力をそぐ結果になりかねないのではないかと想うのだ。リーダーは、そのスポーツのプレイに関わるところにおいてのリーダーであるべく、自由に泳がせておくのが良いのではなかろうか。

 両方よければそれにこしたことは無かろうが、どうにも、キャプテンとリーダーには、別の人物がそれぞれ役割を担ってくれた方が、例えば、車の両輪のように、チームというものはうまく動けるような気がしている。

 野球というスポーツでは、私は学童野球の監督時代、キャプテンはキャッチャーがやるべきではないかという気がしていたので、その様に仕向けるケースが多かったが、ある甲子園常連校の監督さんは、キャッチャーはグラウンドの中では“監督”なので、やることが多くて大変だから、キャプテンとか副キャプテンの仕事は与えない、とか言っている方もいて、あぁ、そういう考え方もあるか、と、眼から鱗だった時もある。

 この監督さんは、私流に解釈すれば、守備面においてはキャッチャーには、キャプテンとしての役割では無く、「“リーダー”としての役割」を期待したのではなかったろうか。キャプテンさえも動かす。それが、野球というスポーツにおける、扇のかなめ、“グラウンド上の監督”キャッチャーというポジションなのだ。

 チームには、「キャプテン」と、「リーダー」を用意した方が良い。そして、その二人が、互いを認め合い、尊敬しあう間柄、欲を言えば、好敵手(ライバル)にもなってくれれば、間違いなく最強チームが出来上がる様な気がする。

 チームプレイが必要とされるスポーツは、個人では戦えない。

 しかし、野球においては【個人】の成績が全体に与える影響というものは、かなりでかい。

 野球とは、チームプレイであると同時に、他の競技に比べれば、“個人技”の「積み重ね」と「交差」「ぶつかりあい」によって形作られるスポーツである。

 象徴的な言葉として、良く、野球の勝敗は、プレイヤーが9人いても、8割方ピッチャーが担っている、とは言われる。

 それほど、「一部の選手」に責任がかかるスポーツなのだ。

 ほとんどの場合、ピッチャーとバッターの一騎打ち、というシーンになるはずだ。

 ただ、私は、ピッチャーだけでなく、実は、「バッテリーで8割」だと想うのだ。

 ピッチャーの能力を100%引き出せるキャッチャーがいるかいないか。どころか、キャッチャーによっては、ピッチャーの潜在能力を引き出し、普段の120%の力を発揮させてやれるかもしれない。それだけ、【バッテリー】の役割は、野球の中で大きい。

 バッテリーは、二人で一つの“ユニット”だ。テニスや卓球の“ダブルス”のようなものである。「ダブルス」で、バッターという「シングル」と戦うのであるから、うまい組み合わせの二人ならこれほど有利に戦えるものは無いはず、なのに、“息の合わない”二人なら、これまたうまく動けないものはない。

 ピッチャーがプラス思考、キャッチャーはマイナス思考、んで、プラスとマイナスだから「バッテリー」なんだ、とは良く言われるが、バッテリーは、プラマイ0が最高のバランスでありましょう。

 三男が、6年生だけで構成する「連合チーム」というもので初めてキャッチャーというポジションに挑戦しているが、勉強すればするほど、その感を強めている。

 特に盗塁阻止、などは、それこそバッテリーの“共同作業”である。いくら強肩のキャッチャーがいても、牽制もクイックもヘタなピッチャーであればランナーに走られまくりになってしまう。

 試合の勝敗は、ピッチャーで8割、ではなく、絶対、【バッテリーで、8割】のハズである。私の感覚だと、“ピッチャーだけ”なら、5割…ぐらい、かな? ヤッパ、ナンダカンダイッテモピッチャーノヤクワリハオオキイデショ。

 それでも、「ピッチャーがボールを投げないと試合は始まらない」と良くいわれるが、その前に「キャッチャーが座らないとピッチャーは投げたくても投げられない」んだよ、とおっしゃる方もいて、「うまいっ!」とその話が書いてある雑誌の記事を読みながら膝を叩いてしまったものである。

 ピッチャーをうまく“操縦”できてこそ、名キャッチャーの証しとなる。

 そして、そのキャッチャーの意思を忠実に遂行する内野陣、それをカバーする外野陣、がいて、相手の攻撃をしのいでいくのだ。

 そして、バッテリーには相手のバッターを打ち取る、という作業に専念してもらって、その他の面では、「キャプテン」が、うまくバックをまとめあげてくれ、攻撃につなげていければ最高である。

 しかし、いくらバッテリーだ、「リーダー」「キャプテン」が大事だとは言っても、人が1人2人でできることなどたかが知れている。1人の仕事量を1、とすると、同じ力量の人間とチームを組んだ場合、1+1=2、ではなくて、最低でも、2.1、2.2、ぐらいの仕事量をこなせるはずだ。つまり3人なら、1人あたりの仕事量は、3割増し、4割増しの働きが欲しい。

 前に勤務していた会社で、営業マン1人当たり年間売上平均1億ちょっとの予算を与えられていたが、エリアによっては、1人で1億近くやらなければいけない部署に回されたり、2人で2億5千万売り上げなければならないエリアも任されたりしたものだ。しかし、1人で8千万の予算の地区を任された時より、2人で2億4千万の地区を担当させられた時の方が1年間通して「比べようもないぐらい」楽だった憶えがある。

 営業マン1人当たりの売上予算は1.5倍になったのに、感覚的には二人で担当させてもらったほうがよほど楽だった。

 1人でなんでもやるより、2人で助け合い、補い合いながら作業は進めた方が何倍も楽にできるし、大きな仕事もこなせる。1人で持ち上げられる荷物はMax50kgでも、2人で担ごうとすれば70kgの荷物でも運べるようになるのである。1人なら二往復しなければいけないところを、一往復で済ませられる。

 つまり、3人ならばもっともっと大きな仕事がこなせるようにならなければいけないのだ。

 しかし、人が多くなればなるほど、いろいろな意見が出たり、“派閥”ができたりして、まとまりが悪くなるもの。

 船頭多くして船山に上る、では逆にチーム力、が活かせない。“船”はあくまで、港に着くもので、“テッペン”に登るために使われるものではない。勘違いしてはいけないのである。頂上に登るためには、自分達の脚で登らねばならぬのだ。

 そういうときこそ、“意見をまとめるための”「キャプテン」、の、そして、“皆を引っ張っていくための”「リーダー」、の、出番なのだ。

 野球というスポーツは9人の“チーム”でやるもの。

 1+1+1+1+1+1+1+1+1=9、ではなくて、皆で闘えば、その力は10にも11にもなってもらわないと困るわけだ。

 「リーダー」と「キャプテン」に求められるものは、その結果を更に高め、12、13…と、割増しさせていくことでありましょう。

 「チームワーク」というものは、“慣れ合い”“傷のなめ合い”とは違う。

 あくまで『チームの勝利』のために必要だからあるものなので、怠けている様な奴がいたら皆で「しっかりしろ!!」と叱咤激励するのが、「チームでやるワーク」でもある。

 リーダーやキャプテンにおんぶにだっこ、状態では、いつまでも勝ち進むことはできないだろう。一人一人が、「俺がリーダーだ!」という気持ちで試合に臨んでくれれば、それだけで普段以上の力がだせるはず…なんだがなぁ。

 今時の子供達は、遠慮深い奴らしか揃ってないからなぁ(-_-;)ゞ

 息子達よ、「俺がリーダーになってやる!」という気概を持って…くれないもの、か??

 特に三男よ、おまえはキャッチャー任されてんだから、ピンチの時はチームメイトに頼られるぐらいの“器量”を持ってくれないと、チームが困るのだぞよ!??

 「苦しい時は、私の指先(サイン)をみなさい」と言ってやれるぐらいになってくれよなぁ。オイ。

 


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