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体軸とは、どこか? [バランス]

 イチローのバッティングフォーム改造が話題になっている。

 デビュー当時の振り子打法は影を潜め…どころか、T-岡田選手ばりの“ノーステップ”打法に挑戦しているようだ?

 イチロー自身は、「無駄な動きを省く」というような表現を使っているらしいが、無駄な動き、というものはなんだろう。

 余計なブレを抑える、という事なんだろうが、それは、表現を変えると【軸】をしっかりさせたい、動かしたくない、という意味だと捉えても良いのだろうか。

 野球においては、良く、「軸」という言葉が使われる。

 バッティングの軸、ピッチングの軸、それを中心に身体を回転させて…うんぬん。

 では、「軸」とは、なんぞや?

 どこにあるの?

 背骨が、軸なのか?

 

 ……? 

 

 

 結論から言うと、「軸」という言葉は、弊害があるのではないかなぁ、と指導上感じている。

 野球においてならば、私は、「軸」という言葉より、「重心」という言葉を使用した方がまぁまぁ、選手には理解しやすいんじゃなかろうか、という感覚である。

 小学生の低学年での話であるが、「体軸」という表現を使ってしまうと、脳天から尾骶骨まで串刺しにされたようにぴくとも動かないようにしてその場でくるりんと回ろうとしてしまう子が出現してしまう。

 バッティングではまだ良いが、ピッチングでは体重移動をせず、その場で腕だけの力を使って投げようとする子が出てきてしまって、とんでもなくギクシャクしてしまい、これはまずいなぁ、と思った時があった。

 小学生なんだから、しょうがない、なんて洒落を言っている場合では無く、“初めての”野球指導を受けた時、その言葉のイメージで勘違いしてしまう、という事は、いくら大人になったとしても、やはり意識の片隅に『違和感』として残ってしまわないものなのだろうか?

 “第一印象”というものは、男女の出会いだけでは無くて、非常に大事なモノではなかろうか。

 野球においての「軸」は動く。

 例えば、ひもをつけて吊るした長い棒が、ブランブランと回転しながら揺れ動く様なもの、だ。

 現阪神タイガースの城島捕手は、前に自分のバッティング理論を「デンデン太鼓」に例えて説明していた。

 デンデン太鼓をくるりんと回して、先に球がついたひもがそれにつれてぐるりんと回る動きを両腕のスイングの仕方を表現していたが、おそらく、腕の脱力を意識していると表現したかったのかもしれないが、その回転運動を発生させるためには、「重心移動」という“きっかけ”が必要であろう。つまり、そのデンデン太鼓の軸を持って、打ち返す方向にすっと動かしながらタイミング良くその軸をくるりんと回し、太鼓をたたくためのバチをつけたヒモが気持ちよく速く振られる様にするのが、バッティングである、のだろう。

 ピッチング・バッティングともに、野球の運動には「回転運動」のエネルギーが用いられる。強く速く回転すればするほど、強い打球、速い送球、ができるハズで、となると、その回転運動のきっかけとなる体重移動が強ければ強いほど回転も強く速くなってくれるであろう。

 だから、しっかり軸足に体重をかけ、素早く前足に体重を移動し、思いっ切り振り切れ!という指導が始まる。

 しかし、ここでまた指導者達は、幼き子供達に無理難題を押し付け始める。

 それは、「頭を動かすな!」というお言葉である。

 体重移動を大きくすればするほど、「軸」が動き、ブレやすく、目線もずれる。結果、ミート率が下がり、バットの芯でボールを捉えにくくなってしまう。日ハムの中田選手が、見違えるような打撃になった原因に、あの腰をぐぐっと落すフォームに変えたことがあるという。最初からああして低く構えることにより、目線がブレないようになったそうだ。

 やはり、バッティングにおいては、「眼の位置」はなるべく動かしてはいけないのだ。これは、これからも絶対に変わることの無い、【バッティングのセオリー】であり続けるのだろう。

 …え?イチローはけっこう、スェーして、頭の位置動いてたじゃん、ですか?

 もし、あのイチローと同じ成績を“今までの”あのフォームで出したかったら、小学校3年生から中学校3年生までの6年間、ほとんど毎日休まずにバッティングセンターに通って、時速130㎞以上のボールを1時間打たなきゃいけないんだってば。 そんなこと、できる??ふつーのご家庭で。

 しかし、イチロー自身が、“今までの打ち方”に限界を感じ始めてきたからこそ、ピッチャー寄りの脚(前足)をステップしないで打とうとするフォームに着手し始めたのではなかろうか? ?

 「軸」を動かさなければ、ミート率は間違いなく良くなるハズだということは、誰でも感じることでしょう。

 しかし、打球に勢いをつけるために、バッティングの回転運動のきっかけとなる体重移動は強く速く行わなければならないのも、確かなハズなのだ。

 この、「頭」を動かしちゃいけないけど体重移動は大きく、なんていう、“相反する動き”を同時にしなければならないから、バッティングは非常に非常に難しくなる。自分でやってみるとわかるけれども、頭をピクとも動かさなければ、ミート率は良くなるのだろうが、自分の腕力と体幹の捻転力以上のパワーは発揮しにくい。つまり、「当てるだけのバッティング」になりやすい。

 人間の体の中で一番パワーを発揮できるのは足腰の筋肉だろうから、オリックスのホームランキング、T-岡田選手の、「ノーステップ打法」というものが不思議がられるのだろう。

 しかし、T-岡田選手がノーステップだからと言って、体重移動を使わないで打っているなんてことは決して無くて、ミートの直前、瞬間的に軸足には地面方向への大きな“力”がかかり、ピッチャー方向への重心移動は行われているそうだ。ということは、つまり軸足から“前足方向”への急激な重心移動はなされているようで、だから飛距離がでるような話をいつぞやNHKの「アインシュタインの眼」という番組で古田敦也氏が話しておった。

 その番組での実験では、普通のバッターは、最初重心が軸足にかかり、それから前足に移動して、ミートの前に前足体重になっており、それからバットにボールが当たっている。ほんの“一瞬”の間の話ではあるが、まぁ、これは自分で素振りしている感覚からもわかる気はする。

 これはつまり、いわゆる『壁』を意識した打ち方をすればそうなるのだろう、と古田氏は言っていたが、T-岡田選手の場合は、軸足から前方へ“体重移動をしている最中にミートして”いたそうである。つまり、『壁』は意識せず、体重移動の力をフルに使用してボールを打ちに行っているそうである。

 「壁」を意識する、というのは、下半身による体重移動のパワーを前足(ピッチャー寄りの脚)で堰きとめて、そのパワーを上半身の回転運動に移してやりバットのヘッドを走らせる、という感じだろう。車で走っていて、急ブレーキをかけると乗っている人がフロントガラスをぶちぬいて前に飛び出してしまうようなもの、か?(たとえが物騒で申し訳ないが…)

 T-岡田氏の場合は、ミートする前に前足への体重移動がほとんど見受けられないようで、この場合は急ブレーキをかけないで車ごと全速力でぶつかりに行くようなものなのか?

 とすると、普通のバッターの方が「軸による回転を最大限に利用しようとする打ち方」であって、T-岡田選手の打ち方は、ノーステップにもかかわらず、どちらかといえばかえって体重移動の力を最大限に利用した打ち方、と言えるのではなかろうか??

 なんか、手塚一志氏も、「うねり打法」の中で似たようなことをおっしゃっていたような?「うねり打法」って良くわからなかったので、私は早々に突き詰めて考えることを放棄してしまったのだが…^^;

バッティングの極意―うねり打法

バッティングの極意―うねり打法

  • 作者: 手塚 一志
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2002/11
  • メディア: 単行本

 う~ん、ここらへんの感覚は、ど素人には全くわからないが、結局、「ノーステップ」打法とはいえ、自分の体重はフルに活用しないとやはり柵越えの打球を打つパワーは産み出せないのでありましょう。いくら腕力があり、お尻がでかい、とはいえ、去年のT-岡田選手はかなり苦しんでたようだしなぁ。

 ただ、西武の中村選手なんかはポンポンホームランかっ飛ばしてたんだから、私は、どちらかというと、去年ホームラン数が激減したのは「メンタル」の問題では無かったのかなぁ、と想う。

 統一球は飛ばない、そんな先入観が、「力み」をうんで、かえって身体のパワーがうまくバットに伝わってくれず、結果、「軸がぶれて」芯で打てずに飛距離が伸びなかった、という選手が多かったんじゃなかろうか。

 閑話休題。

 ピッチングにおいては、頭を動かさないわけにはいかず、ぎりぎりまでは頭を軸足の上に“ためて”おくんだろうが、リリースの直前からは急激に投球方向に移動させなければならない。前足が着地してからは、およそ、骨盤の真ん中あたりが重心になっていくのか?手塚一志氏などは、骨盤から根本が生えている様な鞭が、指先までつながっているという「感覚」で腕を振りなさい、というような指導をしているが、ということは頭も中心ではなく、鞭の途中に頭があるようなものだから、当然、頭の移動距離も長い。

 的を視認するのは頭についている眼なわけだから、だからこそ、野球におけるスローイングの“コントロール”というものは難しいのだ。

 狙撃手が、スコープを覗きながら前方ジャンプしている最中に的を狙って撃つようなものだ。

 ピッチャーは、それだけ頭を動かしながらも狙ったコースにボールを投げなければいけないから難しいのだ、と私は想う。おそらく、ほとんど“勘”で投げているハズだ。

 ただ、私は、勘、とか第六感、とよばれる、「感覚」から導き出されているような、普通の人間には「想像を絶する様な動き」の様に思われるモノは、膨大な行動記憶の小脳への蓄積によって、正確に発揮されているものであろうと想っている。つまり、練習による練習、特訓につぐ特訓、によって身に付いた動きであるはずだ。

 その様な身体さばきを、鍛錬を積んでいない凡人は、“超”能力のように感じてしまうのだ。

 「ボールが止まって見える」なんてバッターの感覚を、“無我の境地”などと美化して表現するが、スポーツにおける無意識的な動きは、無意識に観えるようでも実は意識はしているハズ。ただ、その意識するスピードが、それまでにこなしてきた膨大な訓練量により、「自分でも認識できないほど素早く対応できる」ようになったのだろう。ボールが止まって見える、などという表現は、その結果を現している言葉なのではないか。

 でも、我々の様な凡人でも、周りがスローモーションに視えるような気がするときは確かにある。

 実は私は、若かりし頃、当時勤務していた会社の営業車を運転していて飛び出してきた子供を跳ねてしまったことがある。幸い、ブレーキが間に合ったので、ぶつかりはしたものの子供が道路に尻もちをつく程度で助かったのだが、その時の映像は、今でも脳裏にはっきりと焼き付いている。

 子供が道路わきに駐車してある車の陰から飛び出してきた瞬間から、急に世界がスローモーションフィルムを回している様な感覚にとらわれ、コマ送り再生の様に子供の表情が変化していた様子を冷静に眺めているというか、分析している自分がいたことを、未だにはっきりと覚えているのである。

 自分の頭の中は、「あぁ、ぶつかる、子供が飛び出した、ぶつかる、男の子だ、間に合わないな、小学生だな、止まれない、子供が驚いた顔をしているな、あぁ、ぶつかるな、この子、体をひねって懸命に避けようとしている、が、あぁ、駄目だ、ぶつか…った!」という感じの思考ができていたような程に“ゆっくりとした世界”であった。

 今でも脳細胞にくっきりと違和感があるほどに残っている、あの感覚は、なんだったのだろう。私は別に「子供を跳ねる訓練」を何度も積んでいたわけではない。のに、「子供が止まって見えた」のは、なぜなのか。

 これは、必死になったことにより、集中力が極限まで研ぎ澄まされた状態だったのだろう。

 ノルアドレナリンとかが瞬間的に大量放出されるとそのようになる時があるような話を聞いた事があるが、いつもいつもノルアドレナリンを大量放出しているわけにはいかない。身体にも悪そうだし…(-_-;)

 ので、アスリートは、練習によって極限状態まで自分を追い込み、「人為的に」そのような境地を再現しようとするわけだ。   

 それを実現できた者だけが、多分、「“超一流の”アスリート」と呼ばれる人間になれるのだろう。

 そして、その動きを正確に行うため、また、一度きりでなく、何度でも繰り返す事ができるようになるために大事なのが、自分の「軸」というものをはっきりと意識することだと私は考える。

 ちょっとそこらへんの「理屈のつなげ方」は、なんとも言葉では説明しにくいのであるが、“安定感”という言葉の裏には、間違い無く、「軸」という概念が必要になると想うのであります。

 自分の「軸」がしっかりする、ということは、特に道具を使って行うスポーツには大切でありましょう。「軸」がぶれると、自分の体の位置と、道具との距離感もぶれてしまい、正確な動作ができなくなってくるはず。

 バッティングの軸、ピッチングの軸、身体の軸…

 

 とはいえ、皆、簡単にジクジクいうが、それじゃあ、って、どこよ?

 ………

 自分の体の“軸”を正確に把握する、ということも、実は凡人には、恐ろしく至難の業である、はずである。ゆる体操の高岡英夫氏風に言えば、「センター」という仮想の軸を意識化できるかどうか、という話になるのだろうか。

 「軸」というと、背骨、と想いたくなってしまうが、実は背骨の角度に沿った軸運動なんて、そうそう無いはずだ。例えば、体操の鉄棒運動の“軸”は、鉄棒、でしょ? 鉄棒の軸と、鉄棒を中心に遠心力が発生する方向、身体の足裏方向への軸との「組み合わせ」で、鉄棒競技の運動動作は成り立っていると言えるでしょう。

 一つの動作には、その動作特有の「軸」があり、それは別に背骨に限ったことではなく、『身体の“外”に形成される』こともある、と、「究極の身体」の中で高岡英夫氏は述べていらっしゃるが、この部分を読んで「あぁ、そうか!」と眼から鱗だったのを覚えている。

究極の身体 (講談社プラスアルファ文庫)

究極の身体 (講談社プラスアルファ文庫)

  • 作者: 高岡 英夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/08/20
  • メディア: 文庫

 なるほど、「軸」というものは、運動においては「意識」 なのだ。

 どこに意識を置くか。それが、スポーツにおけるその動作の「体軸」になるのだ。そして、その「軸」は、“常に動きまわる”モノであるのだ。どうも、軸、という言葉を聞くと、なにか物理的にしっかりとした棒のような、“固定された固形物”をイメージしてしまうのだが、この「柔らかい肉体」に、そんな“鋼の様な直線の物体”が入っているわけは無い。

 バッティングにおいても、最初はキャッチャーよりの脚当たりに「軸」があるが、モーションを起こすと、それが前足方面に移り始め、ボールをミートする瞬間はほとんど前足(ピッチャー寄りの脚)に感覚的に“意識として”あるはずだ。

 「壁」というものを作るイメージで打つバッティングフォームで、「人」という漢字を意識しなさい、と指導する方は多いが、例えばこの「人」という字を、右バッターを身体正面から視たと仮定して、“最初の軸”は、人という漢字の中心からやや右足(キャッチャー)寄りに置くが(私はイメージを持たせるために、キャッチャーよりの脚の腿の内側に“重心”がかかっているように、と息子達にはアドバイスしている。「小指側に体重がかかる」と、反応が遅れ、緩急に対応しにくくなるハズ)、モーションを起こしてミートする瞬間には、「人」という字の右側の棒、つまりバッターの左足(ピッチャー)寄りの足底から脳天までに一本の軸が形成されたような回転になっているはずである。

 私は、それがいわゆる「タメ」のできたバッティングフォームであると考えている。少しでも、頭がピッチャー寄りにずれればずれるほど、「軸」が崩されている、つまり、「タメ」が無くなっている状態、打撃指導言葉コレクションに良く出てくる、「突っ込んでるぞ!」という表現を使われるフォームになってしまうのだ。

 みな、簡単に「軸をしっかりしろ!」とおっしゃいますが、かくも、「軸」という概念は、非常に難しいものであるハズなのだ。子供から、「軸って、なんですか、どこですか?」と聞かれて、あなた、はっきりと答えられますか?背骨だ、なんて、苦し紛れに答えてませんか??

 「軸という概念」を、“確立”しようとするだけで、ヘタすると一生かかるような“研究テーマ”になりかねないだろう^^;

 ゆる体操の高岡英夫氏は、「軸」だけで何冊も本を書いていらっしゃる。

センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます

センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます

  • 作者: 高岡 英夫
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2005/07
  • メディア: 単行本

「軸」と「ハラ」を鍛えれば、必ず強くなる!―身体意識メガ・トレーニング

「軸」と「ハラ」を鍛えれば、必ず強くなる!―身体意識メガ・トレーニング

  • 作者: 高岡 英夫
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2006/09
  • メディア: 単行本
体の軸・心の軸・生き方の軸―人生を豊かにするハッピー「軸」理論

体の軸・心の軸・生き方の軸―人生を豊かにするハッピー「軸」理論

  • 作者: 高岡 英夫
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2010/01
  • メディア: 単行本
 
 他にもあったかな?高岡理論の中で、「軸」は非常に重要なウェイトを占めている考え方なので、他の書籍の中でも必ず出てくる。というか、高岡氏が提唱する「ゆる体操」というものも、身体を緩めて「軸」をしっかりと実感できるようになることが一番の目的であるような感じがする。

 この三冊の中では、「体の軸・心の軸・生き方の軸ー人生を豊かにするハッピー「軸」理論」という本が、まさしく「軸」という概念について徹底的に論じている内容で、私は非常に面白く読めた。

 「軸」がしっかりすると、野球においてもバットの芯でボールの芯を捉えやすくなり、打撃能力も向上する、ような話が書いてあって、なんとな~くだが、わかるような気はした^^;

 

 まぁ、「軸」とはなにか?なんてことばっかり考えてたら先に進めないので人生もったいないから、考えるのは研究者の皆様にお任せして、とにかくバッティングにおいては、「眼の位置」は“極力”動かさないで、なおかつ、軸足から前足への体重移動をできるだけ大きく、それも、ミートする瞬間になるべく素早く強く行う、そして爆発的な回転運動へとつなげていく、という事が大事になってくるのでありましょう。 

 ひとつ言える事は、身体が動き過ぎてしまう子には、「軸」を意識させ、「軸」を“意識しすぎる”子、つまり、固まってしまい過ぎる子には、「重心を移動させる」事を意識させるのが良いのではないかな、と、7年間に及ぶ指導歴上、感じておりますです。

 ただし、過ぎたるは及ばざるがごとし、なので、そう言う指導をし続けると、いつか、身体が動き過ぎる子が固まり過ぎてしまい、固まっていた子が、動き過ぎたりするようになったりすることがある。

 そうなったら、また、ベストポジションに戻してやらなければならない。イチローもインタビューで述懐していたが、「バッティングというものは動く。“これ”さえやっていれば良いというものはない。常に変化しているもので、それに対応していかなければならない」とおっしゃっていたが、なるほどなぁ、と想う。

 大事なのは、バランス。

 コーディネーション能力の中で言えば、『軸』という概念は、運動神経というか、“具体的な身体能力”としては、まさしく『バランス能力』というものにあてはめられるでしょう。

 軸はぶれやすい。前に傾いたり、右に傾いたりする。それを真ん中に維持しようとし続けることが、野球における「練習」の重要な役割なのではなかろうか、と最近は思うようになった。野球で無くとも、生活時間のバランス(睡眠とか)、食事の栄養バランス、仕事と遊びのバランス、がとても大切。

 普通の生活でも、「軸」がしっかりしている人は、行動がぶれない、余計な事をせず、効率的な人生が送れるような話を高岡氏はしておりました。

 妊婦さんも、この軸がしっかりしていると安産になりやすく、生まれてくる子供も「軸のある」しっかりとした子供が生まれてくるようですから、妊婦さんも一読してみたら、いかがでしょう?

体の軸・心の軸・生き方の軸―人生を豊かにするハッピー「軸」理論

体の軸・心の軸・生き方の軸―人生を豊かにするハッピー「軸」理論

  • 作者: 高岡 英夫
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2010/01
  • メディア: 単行本

 この本、「軸」という概念について、対話形式でわかりやすく、これでもか、これでもかととことん論じている内容になっておりまして、私は非常におもしろく読了いたしました。そろそろ、また二度目の読書に入ろうかと想っているところでございます。

 おもしろかったですよ。お勧めです。


タグ:軸 体軸
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