速読トレーニング [アイ・トレーニング]
「なんで当たらネェンだよ!!」
「バットに当たるまで、ボールを良く見てろよ!!」
少年野球において、愚かな指導者、勉強不足の保護者が、良くのたまう怒鳴り声である。
本人だって、ヒットを打とうと必死にバットを振っているのである。それを、なんで当たらネェンだ!と怒鳴ってみたって打てるようになるわけが無い。
その、「なんで」当たらないのかの理由を探し出し、教えてやるのが指導者だろう。そのためのトレーニング方法を編み出し、実践させてみて、それで本人が真剣に取り組もうとしない時、初めて怒鳴れるのだ。
なんで真剣にやらねぇんだよ!! と。
バットにボールを当てるためにおそらく一番大事なのは、動体視力。しかし、実は動体視力だけ良くても、たぶんヒットはそうそう打てない。
ボールかストライクかの判断力のスピード、時速百何十キロで迫ってくるボールの位置を正確に把握する定位能力と、ボールの軌道にバットを正確に運んでいく識別能力(いずれもコーディネーション能力)、それらすべてが揃って初めて「ヒット」は生まれるのだ。
私は、野球のおける眼力(メジカラ)を論ずる時、単なる「動体視力」という言葉は使いたくないのである。
動体視力、という言葉だけだと、眼球を素早く動かす筋肉だけを鍛えれば良い、ようなイメージしかわかない。それプラス、視覚情報を素早く脳細胞で処理してフィードバックするまでが一番大事なはず。
いわば、「動体視神経脳力」と表現したいのである。
眼球を素早く動かすための眼筋だけ鍛えていても効果はすぐに頭打ちになるだろう。
その「動体視神経脳力」を鍛えるために、今現在私が最適なトレーニングだろうと考えているのが、速読、である。
…ん? 動体視力と速読になんの因果関係があるの?とおっしゃる方は、まだまだ多いかもしれない。
その、訳は…
ウチの三男は、現在所属しているチームにおいて三冠王、であった(2011年12月1日現在・出場試合数27、打数62で、打率.419 打点21 本塁打5 、ついでながら出塁数も.557で1位である。ポジションはキャッチャー、ファースト※その後打点は抜かれたので、現在二冠王^^;)。
初めてウチの息子を視た方に、「どこのポジションを守っていると思います?」ともしも尋ねたとしたら、10人中10人の方がキャッチャーとは答えてくれないほど(多分、セカンド?なんていわれるだろう^^;)、たいしてガタイも良くないのに、他の保護者の方々からも「バッティングセンスがあるねぇ」とお褒めの言葉をいただいている。
が、正直、“素質がある”という表現を使われる選手からは、程遠い息子であった…ハズ。
巷で有効だと噂されているトレーニングを、これでもかあれでもかそれでもかと施してきた努力の結晶である、と、声を大にして訴えたい^^;
イチローや、松阪投手が、「自分のことを天才と思ったことはない」というような受け答えをインタビューでたびたび聞いてきたが、さもありなん、と今では頷ける。
素質、才能、センス、という言葉で片付けてはいけない。
それは、“逃げ”である。
大した努力もしない癖に、「センスがある奴は良いネェ」「素質だよ、素質、うらやましいよ」などと簡単に片付けてはいけないのである。
努力は裏切らない、練習は嘘をつかないのだ。
大事なのは、努力、練習を重ねること、なのだ… …が。
桑田真澄氏が著書の中でも訴えているが、ただ、「がむしゃらな努力」を重ねるだけでは、「無駄な努力」になりかねないのだ。
“努力”には、『効率の良い努力』と、『効率の悪い努力』が存在するのは間違いない。
確かに、素振りを毎日千回すれば、打率が3割から3割1分ぐらいにあがるかもしれない。
が、毎日千回の素振りをしようとすれば、通常なら3時間近くかかるだろう。
一日24時間の、8分の1にあたる時間を使用して、.010しか打率が上がらないというのであれば、それは、なんか、ひじょーに虚しくないか。
毎日3時間練習するなら、打率も1割ぐらい上ってもらわないと“割に合わない”と考えないといけないと思うのだ。
息子が所属する、小6年生で構成する軟式野球部のコーチを任されているが、時折子供達に、「おまえら、毎日どのくらい素振りしてるんだ?」と聞くと
「百回です!」「パパがいる時は、それプラスティーバッティングを、30分ぐらいやります」「ぼくは、トレーニングバット(重いバット)で50回、自分のバットで200回です!」と、胸を張って答える。
試合後のミーティングでの一コマだが、その試合、1-8のコールド負け、我がチームは1安打1得点、である。
「信用できないな」と、私は心を鬼にしてばっさりと切り捨てる。
それは、まさしく無駄な努力、なのだ。子供達よ。
…いや、失言、“無駄な”努力なんてものはない。無駄だ、と気付くだけでも無駄ではない、といえる。…そこから、学べれば、の、話だが。
「毎晩、漢字書き取り練習を1時間やってます、といいながら、漢字テストは毎回0点しか取れない友達がいたとしたら、おまえら、本当に勉強してるって、信用できる?」
と重ねて質問すると、みな、バツがわるそうに小さく首を振りながらうつむいてしまう。
残酷かもしれないが、スポーツと言う世界は、“良い思いができるかできないか”は、「結果が全て」なのだ。だから、「結果を出させてやる」というのが、指導者に課せられた一番の役割だろう。
結果、とは何か。
「勝つ」ことである。
相手チームに勝つ、ライバルに勝つ、そして、己に克つ。
「良い努力」ができたかどうかの判断基準は、「勝ち、克つ」ことであるハズだ。
もちろん、レギュラーにはなれなくとも、スタンドから応援しているだけでも、青春時代、学ぼうと思えば、いくらでも貴重な経験を積むことはできる。
しかし、それは、「悔しさ」をトッピングされた体験である。「気持ちの良い」想い、とは言えないはず。
敗戦から学ぶ。
非常に“耳触りの良い”言葉ではある。
が、ひとつ間違うと、「弱犬の遠吠え」になりさがる。
敗戦から学ぶ、一番大事なモノ。
それは、「悔しさ」なのだ。
あんな思いはもう二度としたくない、ちくしょう! という気持ち。これだ。
最近の子供達は、なんか、「ちくしょう!」という言葉をあまり使わなくなっている様な気がするのは、わたくしだけだろうか?
しかし、だからといって、何をして勝っても良い、とは想っておりませんので念のため。
いくら優勝した、準優勝だった、県大会に行けた、とはいえ、挨拶はまともにできない、返事も好い加減、態度も悪い、キャッチボールをしていて、自分が相手にショーバンを投げて後逸させた癖に、「それくらい、ちゃんととれよ」という部員、毛がボーボーどころか、茶髪にしてる部員がいる、なんて野球部は、社会に出るために必要なモノは何も身につけられなかったのだから、これまた「結果が出ない」野球をやってきた、と言えるだろう。
まぁ、そんな野球部が勝ち進んじゃうのは「まぐれ」で、続かないとは想うけど^^;
野球が上手でほめられる社会は、プロ野球か、せいぜい社会人野球の世界だけである。
普通の会社に勤める時に必要なのは、上下関係のめりはりをしっかりつけられる態度や、はっきりとした受け答えができるとか、気がきく、という方面での能力だろう。そういう部分を、部活動の中で身につけてほしいと私は想う。
…ちと、話がそれました。
ところで、さきほどの試合後のミーティングの後に子供達に言ったことは、素振りの時、「数を数えるんじゃなくて、自分のスイングの“音”をきけ! だらだら百回するより、たった10回でいいから、そのかわり、自分で出せる最高のスピードでスイングし、バットの風切り音を聞きなさい。それも、ブーン、じゃなくて、ビュッ、でもなくて、『ブッっ!』という、音が出るように。」と伝えました。
まぁ、これは、野村元楽天監督の受け売りなんですが…^^;
「素振り」については、また別の機会に論じてみましょう。
今回の話題は、「眼」
バッティングにおいて、一番重要な“身体能力”はなんだと思うか、「一つだけ」あげてくれ、と聞かれたら、今現在の私としては、「“眼”の力でしょう」とお答えすると思う。
いわゆる、動体視力、と呼ばれるものである。しかし、動体視力、というとただ単にまさしく「“眼球”を素早く動かし、“焦点”を合わせるための能力」というイメージだが、「眼」は、身体の外側に出た「脳」の一部である、と言う方がいらっしゃるように、動体視力、だけではなくて、眼につながる神経・脳の働き、というものまで、バッティングという動作にはとても大事だと思うのだ。
「眼球の動き」がいくら素早くても、頭の回転が遅ければ、これまた“宝の持ち腐れ”と言えるのではあるまいか。
動体視力、においても、眼と手の供応動作が大切だよという内容で紹介している本もあるが、それだけだとちと、踏み込みが甘い感じがする。
スポーツの世界においては、世間一般に言われる動体視力と呼ばれる能力の働きの中で一番重要となるのは、「眼と手の供応動作により得られる“結果”」であるはずだ。つまり、得られた視覚情報をいかに速く、というよりもいかに“瞬間的”に動作に、しかも“正確に”“思い通りに”フィードバックできるか、である。
動体視力が良く、時速150キロのストレートだってしっかり縫い目まで確認できる、が、ボールかな、ストライクかな、あれ、どっちかなぁ、どうするかなぁ、2ストライクだし、一応振っておこうかなぁ、などと悠長に思考していたら、当然、見逃し三振、という結末になってしまうだろう。
「いわゆる動体視力」というモノよりも、眼で得た情報を瞬時に動作にフィードバックさせる【スピード】の方が重要なのではないかということだ。
ということで、“眼を速く動かす筋肉”を鍛えながら、同時に脳側の視覚情報の処理能力を高めるトレーニングに最適なモノが、今現在私は「速読トレーニング」だろう、と考えているのである。
“情報”をいくら素早く入手できる能力があっても、それをうまく“活用”できなければ、「情報が無い」のと同じこと。
ウチの三男はキャッチャーをしているが、眼は良い方だと思うが、まだまだ判断が遅い。ランナー二塁、バッターは送りバント、だが、ピッチャー前へ速いゴロになった! さぁ、セカンドランナーはスタートを切っているが、まだ三遊間の真ん中あたり、サードへ投げるか、大事を取ってファーストか、点差が開いていれば、しっかりワンアウトを取るべきだから「ファースト!」と指示を出すべきだし、同点の最終回、ランナーは絶対サードには進ませたくないと思えば躊躇なく「サード!!」という指示をピッチャーに出さなければならない。
サード送球が際どいタイミングか、余裕なのか、なんとしてもサードでアウトにしたいのか、そんなに無理をしなくても良いのか、この判断のスピードは、“思考”ではなくほとんど“反射”で指示を出せるようにしておかなければならないのだ。
その為には、動体視力を鍛えるだけではだめで、すぐれた動体視力で得た視覚情報をいかに速く処理し、フィードバックするのか、が、どんなスポーツでもそうだろうが、特に野球と言う、ルールがややこしいスポーツではある意味、フィジカル的な能力よりも重視されるシーンは多いはずだ。
ので、その鍛錬に最適なのが、「速読」なのだそうだ。
速読が出来る人の読書風景を眺めていると、「これで本当に頭に内容が残っているのかな??」と疑わしくなってしまうのだが、しっかりと「読めて」いるらしい。
ただし、速読をするときは、「読んではいけない」んだそうだ。
なんだか、禅問答のようだが、「読んで」しまうと、どう頑張ってもページの1行を上から下へ眼を動かさなければならなくなるが、速読をしているかたの眼球の動きを調べると、ほとんど真横に波打つような動かし方をしながら「視て」いるのだ。
プロ野球選手も師事している、この本の著者、呉 真由美さんがおっしゃるには、速読のコツは、本のページの中の字を「読まない」で「一枚の写真の様に大きく視る」ことなのだそうだ。
例えば、雪山で、スキーウェアに身を包んだ人たちの写真を観れば、例え一瞬しか見せられなくても、「スキー場での風景だ」と脳細胞は認識するだろう。訓練を積めば、何人が写っていて、ウェアの色は何色で、天気は快晴、樹氷をバックにしている…などと、1秒しか見せなかったとしても、細かいところまでかなりの精度で読み取れるようになるだろう。
おそらく、「速読」もそれと同じで、本の文字も、「文字」として「読ま」ないで、例えば「○」か「×」かの記号のようなものだと「視て」、脳細胞の方で「まる」「ばつ」と翻訳してもらえば良い、という考え方なのだろう、と想っている。
強制的に脳細胞に一気に情報を流しこみ、瞬時に解読させようとすることにより、脳神経の情報伝達スピードと判断から決断するまでの速さを上げる。これが、速読トレーニングの効果だろう。
実際、自分でもやってみるのだが、なるほど確かに速読トレーニングをやっている間はキャッチボールの相手の時、相手が投げたボールが良く視えるのは当然だが、横でやっている選手達の動きもなんとなく視えている様な気がするし、ノックの時などのそれたボールをカバーするべく裏で守っていると、イレギュラーバウンドしたボールの処理なども、グラブがなんか勝手に動いてくれて、うまく反応できているような気はする。
息子達の守備についての効果のほどははっきりと確認はできないが、少なくともバッティングでは確かに効果が表れているようだ。
でなければ、例え11人とはいえ、学童野球を卒業し、中学校でもしっかりとした野球がしたいと思って真剣に練習に励んでいるチームメンバーの中で、最優秀打率、最多打点、本塁打王、並びに最高出塁率の四冠は達成できないだろう。ちなみに、首位打者と最高出塁率はチーム結成時から一度もトップより落ちた事は無い。
これで、取り組んでいるキャッチャーのポジションの守備にも良い結果が現れてくれればなぁ…と思うんだが、まだまだ指示が遅く、判断力が弱い。
まぁ、スポーツには、「訓練」と「経験」も大事な要素なのだ。学童野球を卒業し、連合と呼ばれる6年生チームに所属してから始めたキャッチャーというポジション(学童時代はピッチャーとショート)、まだ実質3ヶ月しか取り組んでいないのだから、そら、誰からも納得できるような動きが出来るはずもない。
千里の道も一歩から。ひとつひとつ、積み上げていきましょう。
通常のアイトレーニング、例えば、人差し指を立てて左右に広げ、眼球を高速に左右に動かしたり、上下に動かしたり遠くと近くを交互に観たりと、眼球の周りの筋肉を鍛えるだけでも効果が現れる選手は確かにいる。
しかしそれは、よほどテレビゲームでもやり過ぎて、眼球筋が弱り切っていた証拠だ。それだけ、では、すぐに成長スピードも頭打ちになってくるはずだ。
それは、今まで全くダイエットというモノに取り組んでこなかった肥満気味の女性が、毎日ただ千歩余計に歩くようにしただけで簡単に1kgも痩せられたようなもの。
更に1kg痩せようと思えば、もっともっとダイエットに取り組まなければいけないのと同じである。じゃぁ、二千歩、三千歩と歩く量を増やせばいいかというと、体も運動に慣れてくれば、かけた時間の割には効果がどんどん薄れてくるはず。そうなったら、今度は歩くスピードを上げるとか、ジョギングに切り替える、という行動が必要になってくる。
眼のトレーニングも同じことで、眼の動き+視神経の反応~脳神経の伝達スピードの改善、そして最終的に判断力・決断力のUPまで図って、アイトレーニングというものは完了するのだ、というのが、今現在の私の結論でありまする。
ただし、速読トレーニングやったからって、それだけですぐにヒットが打てる、守備がうまくなる、と思ったら、それは間違いなく「甘い」
さきほども述べたが、「訓練」と「経験」そして「スピード・パワー」も大事。「訓練」を繰り返し、実戦での「経験」を積み重ねなければ、絶対にバッティングは良くならない。
「アイトレーニング」とは、あくまで、最小の訓練量、実戦体験の中ででも、できるだけ効率よく打撃成績を上げるための「アシスト・トレーニング」のひとつだと思って、取り組み続けるようにしないといけません。
それに、ダイエットと同じで、やり始めは自分でも実感できるほどの効果を感じられるが、その“刺激”も少しずつ薄れていく、ので、「アイトレーニング」だけに長期間偏り過ぎるのも問題であるハズだ。
ダイエットだって、いくら運動量を増やしても、根本的な食生活の改善も同時に図らなければ意味が無いのと同じこと。
バッティングにおいても、素振りはやらなきゃ、バットを振るための筋力と持久力、また、体軸のバランスも鍛えられないし、実際に時速百何十キロで迫りくるスピードボールを打つ練習も重ね、小脳にジャストミートした時の“感触の記憶”を蓄積させておかないと絶対に、ヒットは“続けては打てない”のだ。
魔法の薬、なんてもんは、どこにもないのであるよ。
ところで、この本の著者の呉さんは、その後も本を出しておりまして、こちらの方がより実践的になっております。
次の機会には、速読の実践編を展開する記事を紹介したいと思っております。いつになるのかは、わかりません…が^^;
とにかく、「時速150㎞のストレートも打てる」ようになれるという、速読トレーニング。
動体視力、というより、脳神経のトレーニングになるようで、ボケ防止にも良いそうでありますよ。
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