掲示板の功罪? [野球徒然]
たまに“掲示板”とやらにアクセスし、そこにとんでもない内容のお話が載ってたりして愕然としたりする。
まぁ、自分からわざわざ訪問する事の無い所なのだが、たいてい、他の人から「すげーこと書いてありますよ」とかいう“情報”をいただいてしまって、ついつい検索してしまうのである。
そして、相変わらずの低俗なうわさ話的な箇条書きの羅列に辟易し、「やっぱ、視なきゃよかった」という結論に至ってサイトを閉めるのである。
しかし、この“掲示板”というシステム、もう少しなんとかならないものかいな。
私は、この「掲示板」というシステム、全てにおいて否定しているわけではない。
使いようによっては、有効なツールとなりえるはずだ。
ネットという世界は、弱者の声を少しでも公にする、という観点からすると、ささやかなるレジスタンスを発露できる場、として、ある特定の意味において賛同できる部分もあると想うのだ。
例えば、チームの監督とか、部活動の顧問の教師なんかは、大抵のスポーツにおいては絶対君主的存在に近いものがあるでしょう。
子供を預けている親の立場としては、チームに欠かせない戦力メンバーであると確約されている子供の親以外は、機嫌を損ねてしまって、息子の起用方法や内申書などに“手心”を加えられたりして、チーム内での立場や進路選択に不都合があっては一大事、と、腫れ物に触るような応対になってしまい気味になる。
そこで謙虚にふるまっていただけるような人情味のある人物がその監督さんや先生であったらば非常に幸せなのだが、もしもそうでなかったならば、親子とも全くの不幸せな数年間を過ごさねばならなくなる可能性が高い。
まぁ、チームの他の子の保護者達と気が合う合わないなど、人生全てある意味“運”なのだが、“運”が悪かったとただ座して(飼殺)死を待つくらいなら、かわいい子供の為、ささやかなれど一矢報いてくりゃりょうと、ついつい匿名で“訴状”を領主に差し出し広く領民へバラしたくもなったりするのかもしれない。
最近、顧問の教師の“指導”という名を借りた体罰のせいで高校生が自殺するという、最低な結果を叩き出してしまったバスケットボール部の話題があったが、素晴らしい実績を出している監督であったりすると、なかなか面と向かって文句を言って対立するわけにもいかない。
嫌ならやめりゃいいじゃん、と、周りの人は簡単に言うかもしれないが、その高校に入った以上、好きなバスケットボールを続けたいと思うなら、どんな監督がいようがいまいがそこに居続けなければならないのだ。簡単に他の高校のバスケットボール部に移籍するわけにはいかない。よほど環境に恵まれていなければ、部を辞める、ということは、イコール好きなスポーツをあきらめる、という意味になってしまうだろう。
もしも将来、その好きなスポーツでできれば食っていけるようになりたい、とまで真剣に人生設計しているアスリートの卵にすれば、そのスポーツをあきらめる、ということは人生をリセットする、という作業に他ならなくなる。
高校生にもなれば、もうそうそう簡単にやり直そうとできるタイミングではなくなってくる。まだまだ若い、君達は、努力次第でこれからどうにでもできるんだよ、なんてのは、岡目八目で“気楽”な立場にいる人たちが“気軽”に発する言動である。
いったんその道を外れれば、軌道修正するにはものすごいエネルギーが必要になってくる。
となると、できれば最初に選んだフィールドでそのまま勝負をかけたい、が、しかし、高校はある程度選べるかもしれないが、そこに入ってしまえば、そこのチームの監督までは選ぶことができない。
いくら入部前にリサーチできるだろう、とはいえ、体罰などの指導状況を学校側が表に出そうとしなければ、立場の弱い入学前の中学生などにはとても伺い知れるわけもない。
それにしても、高校生を追い詰めて自殺させるほどの“指導”というものは、いったいぜんたい、何なのか?
ちょっと、想像ができないのだ。
首をつって自殺したその高校生の顔は、青紫色に腫れあがっていた部分があったという。
これは、体罰?
ちゃうでしょう、暴行、でしょう。
街中で、いくら相手が親しい知り合いだとて、顔がはれ上がるぐらい殴りかかったら即、傷害罪でブタ箱入りだ。
高校内であればそれは許される行為になるのか?
なぜに、生徒と教師、選手と指導者の間では許されるのか。
桑田真澄氏も、絶対に反抗できない状況で殴るんだから、一般的状況よりも卑怯であると言っていたが、まさしくそう思う。私も、今になって思うのだが、中学生の頃、ゲンコやビンタをこの首から上に良く見舞ってくれた教師を、二、三発ぐらい殴り返しときゃよかった。
そういえば、昔は校内暴力が騒がれていたが、なんで生徒が教師を殴ると校内暴力で、教師が生徒を殴ると「指導」になるのでありましょうか。でも、それが昔は当然のこととして受け止められていたのである。
それにしても、なにも手を出さなくても、「厳しい指導」はいくらでも工夫できると思うのだがなぁ。
往復ビンタを喰らわせるくらいなら、体育館の端から端まで20往復のダッシュをさせるとか、試合から外して体育館の外を試合終了まで走らせておくとか、体育館の壁を利用して“電気椅子”させ続けておくとか、それこそ“体罰”を与えてやれば良いではないか。苦しさを味あわせてやると同時に体力アップにもつながる。一石二鳥だと思うんだけど?
どうしても叩かないといけないのか? ?
…でも、真夏の炎天下に罰走やらせて、熱中症で死亡したりしたら、これまた大変なんだけど……
つまり、そこはいわゆる「常識の範囲内」でやらなければいけないのである。
ビンタも、それが有効な相手、シチュエイションで“常識的な範囲内”でやるんだったら、それはアリだと思うんだけど(なんてこと書くとすぐにおまえも暴力賛成派か!と怒られるんだろうが)、いずれにしてもその“体罰”を相手が納得できないのであれば間違いなく「行き過ぎ」であるのだ。
この問題の体罰(暴行?)教師に対しても、その指導を慕う発言をする生徒も中にはいるような内容の記事も読んだ。つまり、“納得”している部員もいたのだろうか。
なんとも、難しいなぁ。
私が学童野球部の指導者だった頃、まぁ、たまに(?)怒鳴りつけたりもしたが、声が出ていない奴は外野フェンスまで走らせて、そこでホームまでしっかり聞こえる声が出せるまで声出しさせるとか、練習を中断して校庭を10周走らせるとかやらせたものである。そら、時には泣きべそかく子も当然いた。
が、相手は小学生、間違っても手を上げたりしたことは一度もない。
なんで、殴る必要があるのか。それで言う事を聴かなければ、メンバーから外すしかない、だけの話なのである。ただまぁ、一発ビンタで済ますより、先発から外す、レギュラーから落す、補欠にまわすなんてする方が、私は陰険でひどい仕打ちになるような気はするけど、ね…
それに、いくら手は出さないとはいえ、小学生に対して校庭を10周も走らせることに対して、「罰走も体罰の一種である」と主張する「教育者」の方もいらっしゃるし、それは確かに全くそうだしなぁ。
しかしじゃあ、指導者って、何をどうすりゃいいの?
そのあたりって、子供の指導者の皆さん、難しくなかった? どう??
こいつになんとかなってもらいたい、だからついつい指導が熱くなりすぎてしまう、という事も確かにあることはあるのだ。私も、素晴らしい素質が見受けられる子供が、真面目に練習に取り組もうとしないとついついイライラしてしまい、「なんでわかってくれないんだ!」と声のトーンが一段と高くなってしまう、というケースは多々あった。
もしも、叩かないどころか、怒鳴りもせず、淡々と諭し教えるだけで強豪チームを作れるような指導力が無い人間は指導に携われない、なんてことになったら、チーム編成できる数は日本国中激減するんじゃなかろうか。
そんな仙人みたいな指導者は、そんじょそこらにゃいるもんじゃなかろうて。
が、自殺させるほど、というレベルは、明らかに“気違い沙汰”の“制裁”が加えられていたとしか思えないのは間違いない。
ただ、これも“明らかに”言える事だと思うのだが、最近の若者たちの、「“逆境”に対する耐久力」は、我々の時代よりも格段に低い、という影響もあったのではなかったか。
“耐久力”、というよりも、“叱られることに対しての免疫力”が弱いという方が、もしかしたら近いか。
我々の小学生の時代は、先生からビンタを喰らって口の中を切って血を出すとか、ゲンコツ貰ってたんこぶができた、なんて話は日常茶飯事だったのだ。そんなこと親に知られると更に又ぶたれるから、必死で怒られたことを隠そうとしたものである。だからといって、真剣に自殺を考えるほど悩むこともなかった…よなぁ?
次の日にはケロッと忘れて、友人たちとまたいたずらしてひと騒ぎ、んで懲りずにビンタやゲンコツを喰らっていたものである(^^ゞ
それに比べて現代の子供たちは、“暴力”というモノに対してものすごく“過保護”である。なかには未熟な親に育てられ、しつけと称するDVで幼い命を落としてしまうなんていう特異なケースもあるが、そういう極端な場合を除いては一般的にはおおむね「バイオレンス」からはかなり守られていると言っても間違いではないだろう。
加えて、生活面でも、すでに生まれた時からなんでも揃っていて、何不自由なく過ごせる。
冷暖房完備の家に住み、暑いと言ってはエアコン、寒いと言ってはエアコン、自分の個室があり、小学生のうちからスマホを買い与えられ、ゲームやり放題食事は好き嫌いし放題、ビデオがあるからいつでも好きな時にアニメが視られて、極めつけは親に殴られたことは一度もありません、学校ではわがままを咎めようと、先生がほんのちょっとでも手を出そうもんならすぐに教育委員会に報告され、あらゆる側面で「打たれる」という経験の場を奪われているこの環境下では、「打たれ強い」子供が育つ訳は絶対に、無い。
もしかしてそのうち、調子が悪くなったからとレギュラーから外された程度で、ショックで自殺してしまうような子供ばっかりになったりしないだろう…な??
…あながち、悲観し過ぎの予想とは思えないんだが。
そんな打たれ弱い国民ばっかりの日本になってしまったら、海外の狡猾な野心国が侵略してきた時、毅然とした態度で外圧を押し返して領土を守ることなんて、できるんじゃろかいな??
「理屈」が通じる人間がいる世界だけでの話であるなら問題は無かろうが、“無法地帯”に投げ出された時、対応することができるのか?
それに、「痛み」を経験したことの無い人間は、当然他人の「痛み」というものも理解できないだろう。そうなると、逆に簡単に他人を傷つけてしまう、短絡的に、侵略されたらやり返せ、他国へ暴力(戦争)を仕掛けることに対しても何の抵抗感の無いような国民がどんどん増殖していくことになりはしないか。
そこで大事になってくるのが、やはり、家庭の躾け、というものではなかろうか。
身体が美しい、と書いて読む、『躾け』という言葉は、美しいネェ。
少なくとも、親に一度も打たれたことが無い、なんて家庭に育ったような奴は、私はあまり信頼はできないような気がする。“信用”はするように努めるだろうが…
若者の脆弱性については今回の話題とは主旨が違うので、また改めて考察してみたいのだが、とはいえ、封建的な雰囲気プンプンの柔道界においての女子オリンピック選手たちでさえ、絶対的権力を持つコーチや監督達の暴力的指導に対して「NO!」と言える日本になってきているのは、良い事…なんだろう。
ただし、だからといって、ちょっと声を荒げたぐらいでもパワハラだ!なんて騒がれるようになり、手も足も出ないような雰囲気になってしまうのであれば、はっきりいって、「指導者」という“立場”は存在しえなくなるのではないか。監督やコーチ、という肩書を持つ人間の役割は、単なる「アドバイザー」的なスタンスになっていくのだろうか? 相談役とか、それこそ文字通りの「顧問(顧みて、問う人)」、というポジショニングとイコールになっていくのかなぁ。
となると、今度は選手達、子供達自身が良く良く自覚して考えて行動していかなければなるまい。つまり、自分を律することができる、“自律”的な「オトナ思考」を求められてくるはず。
実際のところ、本人達自身にとっては、その方が“本当は”とっても大変なことになるだろう。
でも、時代的には、遅ればせながら日本のスポーツ界にも、もう少し成熟した指導・教育環境が求められ始めている、という事なんでありましょう。子供達も、いつかは自分で生活していかなければいけない。いつまでも親のすねをかじってはいられないのである、から。
話を戻すが、なんにせよ、今回の事件の様に相手が自殺をしてしまうほどの「指導」は、“指導”とは言えないのだけは全く持って間違いなく当然の事である。
それほどの暴力がまかり通っている雰囲気の部活動である、としたら、親としても面と向かって文句を言えばますます自分の息子の立場が悪くなってしまうと心配になり、文句が言えなくなるという悪循環に陥るだろう。
と、なると、ネットにおいて“牽制する”しか方法が無い、という状況はありえるのではなかろうか、という事を言いたかっただけである。
なにも、“誹謗中傷”を奨励するわけではない。ただし、あまりにひどい現状があり、学校側もそれをひた隠しにしようとし、教育委員会もなんのアクションもおこしてもらえない、という八方ふさがりの立場に陥ったとしたら、息子を守るためになんらかの対応策を取らねばならなくなってしまう、のではないか…とも思うのである。
もしも、この体罰教師に対する批評非難がネット上で“炎上”していて、近隣の話題になっていたら、学校側ももう少し自粛を求めるとか、教育委員会も具体的に調査に入るとかの動きにつながる、というようなことは無かったか。そうしたら、もしかしたらこの教師の、高校生に対する暴行度合いも多少緩んでいた…もしくは、違う手法を取ろうとした…とまで考えるのには、少々無理があるだろうか。
でもそのおかげで、夜中独り部屋で天井からつるしたひもに首をつっこみたくなるほどの絶望一歩手前、で、なんとか踏み止まり、次の朝、部屋から「おはよう」という一言とともに、いつものように出てきて朝食のテーブルについていた、ということにはならなかったものかなぁ…。
ただまぁ、そんな書き込みを読んで、余計意固地になってエスカレートする、なんてこともありえるしなぁ。難しいところだ。
死んでから、対応策を考えても遅い。何をどうこう言っても、死んだ人は生き返ってはこない、のである。しかし、そのくらいのインパクトが無かったら、実際問題、ここまで「指導上の体罰」の是非について日本国中で論じられていただろうか。
桑田真澄氏もテレビのインタビューで「心が痛いですよね」と沈痛な面持ちで話していらっしゃったが、自分の息子が部屋で首をつっているところを発見した親の心情を想えば、本当に心が痛む…
そのような悲劇を生む前に、ネットか何かを利用して現状を広く世間に訴え出る、という行動は取れなかったものか、ということを言いたいので、何度でもいうが、誹謗中傷をお勧めしているわけではないのだ。
さっきも書いたけど、確かにそういう内容のネット投稿は、感情論に終始する“罵り合い”になっていく可能性が高い、ので、難しい。
冷静に、「解決策」を議論していく場として活用できれば良いと思うのだが……
やっぱ、難しい。必ず、レベルの低い人種が割り込んできて話を滅茶苦茶にしてしまうからだ。
最近は、「ネット署名」というものが流行っているそうな。
署名サイトというものがあって、なにか問題があればネット上で訴えて、そこで広く世界中から電子署名を集める事が出来るのだそうである。
それをもとに行政や国など、個人で抗うにはあまりに大きすぎる相手に膨大な署名とともに抗議文を持ち込み、解決を図ろうとするモノだ。
ベン・ラトレイさんという方が立ち上げたサイトが有名で、多数の国に翻訳できるようになり、いまや世界的に強い影響力を発揮できる手段になっているそうである。
そんな感じで、例えばすでに卒業していて現在なら実害の少ない、そのクラブのOBなんかの体験談という形とかで告発するとか、エスカレートしている指導に何らかの歯止めとかける力になったりできないものだろうか。
ただし、そのネット署名、署名者が特定できないなど、不正をチェックする機能がまだ不足しているそうなので、やはりそういうネット上の動きにはまだまだ課題は多いのであろう。卒業生を装い、あることないこと発言してもらったらこれまた大変な問題になる。
本来、掲示板のような場所は、有益な情報を供用したり、なにか難しい問題があれば、その状況を打開すべく不特定多数の方々から良い知恵を拝借する場、として機能すれば、これほどありがたいトコロは無いと思うのである。
しかし、ただたんなる面白半分の扇動者、愉快犯的コメンテーター、無責任な人間の意見(愚見?)交換の場となるとこれがまた醜悪な罵り合いの巣窟と化す。
ここいらへんは、管理人の忍耐と根気と人徳に期待するしかないが、そのうち面倒くさくなりほとんど放置プレイ化されてしまうのがオチであろう。
そうなるとまさしく炎上、もともとのテーマはいったい何だったのか?と首をかしげてしまう文章のオンパレードである。
私は、投稿したことが無いので良くわからないんだけど、例えば、一度ひどい内容の投稿をして削除された人間のアドレスからは、削除以後同じ掲示板にはもう投稿できなくなるとか、最低限その様な縛りをシステム上加えられないものだろうか。
でなければ、個人のメールアドレスを登録しなければ投稿できないようにして、あまりにひどい内容の投稿が続く場合は警告を返信することができるとか、なにか最低限「責任の所在」をはっきりできるツテを残させるようにしなければ、ネット上の炎上問題は永遠に解決されないだろう。
まー、一言で言うと、あまりにレベルが低すぎる人間が多過ぎる。
もしも顔の見えないネット投稿の掲示板上ではなく、実際にどこかに集まって顔を突き合わせたとしても、同じコメントを自分の口から言えるのか。
「うざい」「ばかじゃないの」「どんくせぇ」などというコメントをする事が、もしも“議論”しているとでも考えている人種がいるとすれば、こいつらは全く救いようの無いゲスどもである。
こういう話にならない低俗な相手は、無視するに限るのである。まともに相手にしていたら、自分が同じレベルの低俗な人種になりはててしまうような気がしてしまう。
だから私は、いわゆる掲示板などというモノに投稿したことは全く一度もない。せいぜい、自分のブログ上で考えを述べる程度で、もしもコメントを頂ければそこで真摯に応対しているつもりである。
結論、今のところ有益な解決策は、そんなトコロを覗かないこと、しかないと思うのだが、かといって知らないうちに自分の情報で勝手に盛り上がっていられたりしたら非常に怖いものがある。
やはり、悪質なモノはどこかできるだけ簡単に訴え出ることができる場所を用意しておき、明らかに悪質である、とされる場合、そのサイトを閉鎖できるようにしておくとか、最悪警察沙汰にでもなりそうなレベルのお話であればおまわりさんにお出ましいただく、ということもこれからもっともっと積極的に実現して頂かなければならないのかもしれない。
そうすれば逆に、世間さまから非難を浴びるほどではない“健全な”サイトを守ることもできるだろう。全くの個人的感情だけで“攻撃”しわざと炎上させ混乱しようとしたり、閉鎖させようと目論んで、薄汚いコメントを大量に投稿して来たり、大騒ぎして揉めるように仕向けてくる人物を、おとなしくさせることも反対にできるだろう。
他人の話題は耳をダンボにしてニヤニヤしながら読んでいるのに、いざ自分にその矛先が向かってきたら途端に名誉を傷つけられたとか大騒ぎするようなチンケな輩が多いのだろう。
こういう問題は、その内容に関わる人間だけでしのごの言い合うより、「第三者」に判断してもらうのが一番公明正大で良い。
ネット上や、ブログでの誹謗中傷は「いじめ」と認定する、なんて程度の話では無くて、公的な、そしてなにより“簡単に”トラブルを解決できるように、調停する場所というか、「ネット裁判所」のようなものを、実現していかなければならない時代が訪れているような気はするなぁ。
「なんでわかってくれないんだ!」
懐かしい声の響きを感じ、ここに来ました(笑
ブログから伝わる“熱”を感じ、辿りついたのかも…。
何年ぶりか?
“うなづける”ブログに出会えました。
ありがとうございます。
by boku-5 (2013-04-30 13:37)
あれ、boku-5さん、お久しぶり。コメントに気づくのが遅れてしまいました。ごめんなさいm(__)m
最近はなにかと忙しくて、更新がほんとーにいい加減なんですけど、まぁ、息子達も硬式野球に進み、素人の私にはもうとやかく口をはさめないレベルなので、見守るしかなくなってきてしまって…
ちょっとつまんないんですが^^;;;
それに、素質、センスという言葉は使いたくないと想い続けてきたんですが、それでもやっぱし、“体格”というか、“体質”? 一番近いイメージの言葉としては、“筋肉の質”並びに“神経伝達スピードの差”とでも言えば良いのか、やはり、「持って生まれたもの」の“差”というものは、上のレベルになってくれば来るほど、如実に現れてくるものなのかなぁ、と、打ちのめされるように実感させられるこの頃。
バランスとか、コントロールとかはなんとかなっても、“スピード”と“パワー”いう点に関してだけは、どう頑張っても“成長の限界”というものは確かにあります、ねぇ。
もちろん、素質とかセンス、という言葉に逃げちゃいけない、とは息子達に言うものの、もともと生まれつき備わっているライバルに負けないために、劣っている部分を補うための努力、というものは、これはやはり「持っている選手」に比べれば、ものすごく大変なエネルギーが必要になってくるはずで、こういうものは親が強いても全く無意味。本人たちが目覚めてくれないと、どうしようもありませんなぁ。
レギュラーになったり落ちたりの息子にハラハラドキドキで、素振りせい、走りに行けーと文句を言っております、が、しかしまぁ、遺伝的要因は、これは親の責任なので、その点に関しては息子達は責められません。はい。
ただ、“夢”があるのならば、精一杯の努力をする、ということが大事なんだ、という事だけは譲れないので、最近はそういう“メンタル”的なお小言ばかりをのたまって、息子達にうざったがられている、ノックとかしなくなって腹が膨れ続けているデブ中年(初老?)親父のたわごとブログ、お暇な時に遊びにきてくだしゃんせ。
by 健康野球オタク (2013-05-06 11:13)
ほんとうにお久しぶりです。
「健康野球オタクさんのブログ」(現在は健康野球オタクさんと名乗っているのですね)を以前より探してはいたのですが、なかなか見つけられず…。
息子の投球機会が多くなるにつれて、故障の心配が出ました。そこで“真下投げ”について解り易く書かれているブログを探していて見つけました(汗。
「持って生まれたもの」の“差”と言うものを噂では聞いていますが、もう間もなく実感するのでしょうね。
現時点では「線が細いね」とか「バネをつけた方が良い」等のこれからを期待させるようなアドバイスを多々頂きます。しかし、それがそのうちに「体格が無い=ダメ」「鈍い=ダメ」等に変わるのでしょうね。
最近、息子はバスケに興味を持っています。口では「野球が好きなら野球を徹底的にやれ」と言っていますが、バスケと言う選択肢もありかなぁ?と考えます。息子はダルビッシュでは無いですからね(笑。
なんか長文になり、弱気ともとれるコメントですみません。
以前のメールアドレスはまだ生きていますかね?
そちらへもメールします。
そうそう、ブログの更新を楽しみにしています(笑。
今後とも宜しくお願い致します。
by boku-5 (2013-05-07 11:36)
線が細い⇒体格が無い⇒「将来性が無い…」
バネをつけた方が良い⇒鈍い⇒「使えない…」
いやまったく、そのとおりの展開になっていくのですよ、上のレベルになっていくと。うまい表現です^^;
ただ、断っておきますが、私はあきらめているわけではありませんよ。そういう“ハンデ”を、「思考」と「技術」、プラス「努力と根性」で補っていけるのも「野球」というスポーツの魅力だと想っているので、そこのところを「気付け、気付け~!」と息子達に念じておるわけでありますよ。
もちろん、スポーツは野球だけではありません。バスケットもいいじゃないっすか!
ちなみに大学に進んだ長男は、何を想ったのか、合気道部なんぞに入りましたよ。中国系拳法経験者の私に対抗する気なのかもしれません。この間連休で帰省したときに対決して、少し“揉んで”やりましたが…^^; まだまだ、素人でしたね。フ、フ、フ…
…まぁ、相手は「オレ始めてまだ一ヶ月もたってないんだぞ!」と、泣いておりましたが…
by 健康野球オタク (2013-05-14 08:33)